日本の100m初代王者は東大出身 110回続く陸上日本選手権、その始まり…「ベースボール用球投げ」もあった
「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第3回は「日本選手権の歴史」をひも解く。

「THE ANSWER 陸上PLUS|COLUMN」 荻島弘一の陸上クロニクルVol.3
「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第3回は「日本選手権の歴史」をひも解く。
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今年の陸上日本選手権はアジア大会代表選考会を兼ねて6月に名古屋で開催された。実に110回目の大会、もちろん五輪競技などの「日本選手権」では最も回数が多い。「全国陸上競技大会」として第1回が行われたのは、1913年。明治から大正に代わって2年目、日本が初めて参加したストックホルム五輪の翌年だった。
水泳やサッカー、バスケットボールなどの競技の日本選手権が始まったのは、各競技団体が組織された1920年代に入ってから。全日本陸上競技連盟(現日本陸上競技連盟)の創立も1925年だから、当初の大会は全日本体育協会(現日本スポーツ協会)が主催して行われた。
実は水泳も、1914年8月に「第1回水上選手権」を全日本体協主催で開催している。陸上に遅れること1年で日本選手権の前身大会が行われたのだが、日本水泳連盟は1925年に設立された大日本水上競技連盟が主催した同年の大会を「第1回日本選手権」としている。
第1回日本陸上競技選手権は1913年11月1日と2日、現在の東京都新宿区にあった陸軍戸山学校の新運動場(1周270メートル)で行われた。日本陸連のホームページによれば、出場した選手はほぼ学生で28校から360人が参加。男子のみで、女子の参加は1924年の第12回大会まで待たなければならなかった。
行われたのは100メートル、5000メートルなどのトラック種目、走り幅跳び、砲丸投げなどのフィールド種目、マラソンなどのロード種目で計19種目。ハードル種目や円盤投げ、やり投げはなく、当時五輪でも行われていた立ち幅跳び、立ち高跳びが行われ、野球の遠投にあたるベースボール用球投げも種目に入っていた。
100メートルの初代王者は東京帝国大(東大)出身の明石和衛で、タイムは12秒4。後に機械工学者、実業家としても知られる明石は200メートルとの2冠を獲得し、1915年の第3回大会では初めて行われたハードル(当時100メートル)でも初代王座を獲得。走り幅跳びでは、1911年のストックホルム五輪予選会で出した5メートル48が、最初の日本記録として今も残っている。
マラソンの距離が42.195キロになるのは1920年の第8回大会からで、この大会では当時主流だった25マイル(約40キロ)で実施。優勝したのはストックホルム五輪代表の金栗四三(東京高等師範)で、タイムは2時間31分28秒だった。金栗はここから3連覇を達成。第2回大会では2時間19分20秒3(25マイル)という当時の世界最高記録を出した。
大会は1925年から全日本陸上競技連盟の主催となり、戦争での中止を経ながら今年110回を迎えた。現在は男女各17種目を実施、マラソンや混成競技などいくつかの種目は別の大会が「日本選手権」として行われている。1960年代からは主に1964年東京五輪メイン会場の国立競技場で開催されたが、2000年代は持ち回り。地方開催が陸上競技の新興と普及に貢献している。
(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)
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