ケータイ、彼女作りもNG 陽岱鋼が守った“日本の父”との約束3箇条「この方がいなければ…」昭和の香りが生んだ絆
日本ハムと巨人でプレーし、NPB通算1322試合に出場した陽岱鋼外野手が26日、ハードオフ新潟で行われたファーム・リーグのロッテ戦で引退試合に臨んだ。2021年のオフに巨人を退団後は、米国、オーストラリア、そして「2軍球団」オイシックスで3年間プレー。最後の打席まで「絶対泣かないようにしよう」と心に決めていたが、セレモニーでは涙をこらえきれない場面があった。「日本のお父さん」に教わったこととは。

高校生の陽岱鋼が「日本のお父さん」と交わした約束
日本ハムと巨人でプレーし、NPB通算1322試合に出場した陽岱鋼外野手が26日、ハードオフ新潟で行われたファーム・リーグのロッテ戦で引退試合に臨んだ。2021年のオフに巨人を退団後は、米国、オーストラリア、そして「2軍球団」オイシックスで3年間プレー。最後の打席まで「絶対泣かないようにしよう」と心に決めていたが、セレモニーでは涙をこらえきれない場面があった。「日本のお父さん」に教わったこととは。
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「21年間、本当によくやった。次は人生のレギュラーを目指せ!」
試合終了後に始まった引退セレモニーで、真っ先にメッセージが紹介されたのは「リュック一つで」台湾から日本にやってきた陽を受け入れ、プロ野球選手に育て上げた人物だった。平松正宏さんは当時、福岡第一高の監督。言葉だけでなく、引退試合をスタンドから見守った。
続けて陽が引退あいさつの冒頭に選んだのもまた、平松さんへの感謝だった。「この方がいなければ、今の私はどこにいるかわかりません」と口にして、感謝の手紙を取り出し読み始めた。思い出すのは、入学直後のやり取りだという。
「お前、プロに行きたいか? と聞かれて、行きたいですと答えました。すると『3つ約束できるか?』と言われました」
携帯電話の使用禁止、彼女を作らないこと、休みの日を作らず練習することだったという。「これをやればプロに行けると言われました」。陽はその言葉を守った。来日時には「社会人野球に行ければいいな」と思っていた痩せっぽちの少年が、日本と台湾を股にかけるスーパースターになった。
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