「電話は1年生が呼出音3回以内に」 部の理不尽、低迷期を知り…“クソ真面目”だった主将が令和の明治に戻ったワケ
大学ラグビーの季節が始まろうとしている。昨季大学選手権を制覇した明治大学ラグビー部は、9月12日の関東大学対抗戦グループ青山学院大戦でシーズンをスタートする。明治としては30年ぶりとなる連覇を懸けたシーズン。チームはタクトを、優勝監督・神鳥裕之から高野彬夫に代えた。古豪・天理高(奈良)から明治大―クボタスピアーズ(現クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)で職人系CTBとして活躍した新指揮官は、S東京ベイを率いるフラン・ルディケ・ヘッドコーチ(HC)の下でディフェンスコーチとしての経験を積み、いよいよ監督として母校への恩返しに挑む。自身初体験の監督として臨むシーズン。就任からここまでの取り組み、そしてシーズンへの思いを聞いた。(取材・文=吉田 宏)

昨季の日本一・明大に帰ってきた高野彬夫監督ロングインタビュー
大学ラグビーの季節が始まろうとしている。昨季大学選手権を制覇した明治大学ラグビー部は、9月12日の関東大学対抗戦グループ青山学院大戦でシーズンをスタートする。明治としては30年ぶりとなる連覇を懸けたシーズン。チームはタクトを、優勝監督・神鳥裕之から高野彬夫に代えた。古豪・天理高(奈良)から明治大―クボタスピアーズ(現クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)で職人系CTBとして活躍した新指揮官は、S東京ベイを率いるフラン・ルディケ・ヘッドコーチ(HC)の下でディフェンスコーチとしての経験を積み、いよいよ監督として母校への恩返しに挑む。自身初体験の監督として臨むシーズン。就任からここまでの取り組み、そしてシーズンへの思いを聞いた。(取材・文=吉田 宏)
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真夏の強い陽射しが降り注ぐ菅平で、新監督の思いを聞いた。
「これから対抗戦を迎えます。勿論、学生たちにとっては初戦から大事な試合になります。そして、ここから彼らは成長していくので、試合毎にそこをしっかり見極めていきたいですね。当然ですが、最初から100%の力、戦力で戦うんですが、チームの目標は連覇ですから、どうやって最後の最後まで彼らを更に成長させていくかをすごく大事にしていきたい」
夏合宿では天理大、京都産業大と関西の強豪に連勝したものの最終戦では、今季のタイトルを争うであろう帝京大に19-42とスコアを開けられた。指揮官は「結果は見ての通り完敗です。(試合中で起きたことを)選手間でしっかり解決することはまだ出来ていなかった」と、後半突き放された80分を振り返ったが、帝京大には春の招待試合でも19-40と敗れ、そしてライバル早稲田大にも春季大会で24-28と惜敗。今季Aチームが黒星を喫したのはこの3試合のみだが、当然この2チームとの勝負が「連覇」への大きな挑戦になるのは明らかだ。
歴代明治の指揮官の中でも、現役時代に燦然と脚光を浴びたスタータイプではなかった。天理高では2年からCTBとして花園に出場。ベスト8、ベスト16と古豪としての存在感は見せたが、SH西田英樹、SO/CTB文平龍太、FB渡辺大吾の“天理最強トリオ”の先輩と同じ進路を選んだ明治大では厳しいシーズンを戦い続けた。在学4年間の成績は、関東大学対抗戦で3位、4位、3位、そして主将だった最終シーズンも4位。ルーキーシーズンの早明戦は0-24と76年ぶりに完封負けを喫するなどチームは過去の輝きを失っていた。大学選手権も2回戦敗退が最高成績だった。
最強時代は全国から有数のエリートが集まってきた明治だったが、1996-97年に勃発した監督人事の騒動から多くの有望高校生が進学を回避するシーズンが続いた。高野のように全国屈指の伝統校から進学する選手もいたが、逆にそんなトップ選手に依存しながらかろうじて上位校の面目を保つような時代だった。
そんな苦境を、高野はこう振り返る。
「僕自身、いま監督として戻ってきましたが、ここまで明治を嫌いになったことなんて1度もなかった。あの時代(の明治)を経験出来て良かったと思っています。でも、正直言うと、入寮した時は、なんだか違う所に来ちゃったなという気持ちはありましたね」
明治大ラグビー部は、グラウンド上では誰もが知る「前へ」のスローガンの下、強力FWで相手をねじ伏せてきた。ピッチ外の生活では、学生の自治を尊重する風土が培われてきた。そのため、合宿所も部員の中で積み重ねられた他校とは異なる特有の“文化”が少なくなかった。下級生は用事があっても上級生に声を掛けてはいけない、寮の電話は1年生が呼び出し音3回以内に必ず取る、試合当日の朝には、ジャージー当番の下級生が出場メンバーの就寝中に気付かれないように枕元にジャージー一式を揃えておく、そのジャージー自体も当時のコットン製の目が粗い生地に入り込んだ砂一粒も残ることは許されない……。明治が最強チームの座から陥落しても、このような理不尽な“文化”だけは、高野が入部した2002年にも少なからず残されていた。
「勝つ環境ではないなと感じていました。別に上級生を悪く言うつもりはないけれど、昔からそれで勝てていた時代を引きずっているという印象でしたね。今じゃ言えないような生活や、食習慣、喫煙もそうです。そんな状態の一方で、他の大学では新しいことが始まっていた。関東学院大が最強時代を迎えて、早稲田では清宮(克幸)さんが監督に就任していた。その中で、明治だけ昔を引きずったままの組織だった」
当時の明治大ラグビー部の環境が、頂点を目指す集団のものではないことは、長閑な奈良・天理市で生まれ育った新入生にも歴然だった。そんな低迷から脱却できないチームを、ハードタックラー、そして天理仕込みのパススキルで引っ張り続けたのが高野だった。1年生で控えメンバー入り、2年で公式戦フル出場と中心選手となった実績もあり、最終学年では当然ながら主将を託された。低迷しているとはいえ名門・明治のスキッパーとしての1年だったが、高野にはほろ苦い記憶も含めて学びになっている。
「改革したと偉そうに言えないですけれど、4年で主将になった時はルールを変えたんです。僕自身は人を使ったりするのが嫌で、上級生が下級生に『あれ買ってこい』と自分は何もせず使い走りにしていたり、電話当番とかは無くしたんです。自分の事は自分でやれと。でも、おそらく同級生や3年生は(改革を)良い様には思っていなかった。後で、そんなのは2、3年で元に戻ってしまっていたと聞きました。長く根付いたものって、なかなか変えられないのかなと感じたものです」
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