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「何度も折れたし、諦めた」選手生命の危機から復活 西武・森脇亮介、知られざる雌伏の4年…それでも前に進める理由

「右上腕動脈閉塞症」で一時は背番号が3ケタになっていた【写真:羽鳥慶太】
「右上腕動脈閉塞症」で一時は背番号が3ケタになっていた【写真:羽鳥慶太】

熱望したプロからの誘いがついに…それでも「ちょっと迷った」理由

「プロでお前を獲りたい球団がある。どうする? って聞かれたんです」

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 社会人野球の選手にとってプロ入りは“転職”でもある。指名前に意向を確認するのは暗黙のルールだ。強豪チームを持つ企業は大手が多く、人生設計にも関わる。さらに森脇は当時、すでに結婚して子どももいた。

「本当のところ、ちょっと迷いました。年齢も年齢ですし、もしプロで結果が出なかったら2~3年で切られて、30歳でこれといったスキルもない人間になる。プロへ行かなくても、セガサミーで長く現役をできればいいし、できなくても会社で働けると考えると……。簡単に入れる会社でもないわけですから」

 最後は夢を優先して今がある。ドラフト会議で、西武から6位指名を受けた。「最後まで信じられませんでした。名前を呼ばれてやっと『あ、行けるんだ』っていう感じで」。子連れルーキーとして話題になり、ファンからは「森脇パパ」と呼ばれるようになった。

 プロではリリーフとして活躍してきた。脂が乗った5年目、31歳の時に襲われたのが「右上腕動脈閉塞症」だった。利き手に血が通わなくなる病気。長い間痺れに悩まされ、一時は指先の感覚も失った。背番号127の育成選手となり、実戦登板まで1年。それから支配下に戻るまで2年かかった。8月21日の楽天戦で挙げた白星が、実に1150日ぶり。ここまでの野球人生、圧倒的に待つ時間が長かった。なぜそこで心折れずに、前に進むことができるのだろうか。

「折れて、また強くなってという繰り返しなんじゃないですかね。その度に、根拠はないですけど自信というものが少しずつ生まれてくるんです。社会人の時も最後の最後には、プロに行けるんじゃないかという勝手な思い込みがありましたし、今回の病気も『いつかは元に戻るだろう』と思っていました。折れながらも、根元までは折れていないというか……」

 折れるほどに強くなってきた野球人生。「あと、苦しい時に本当にいい縁に恵まれていたというか。今回は球団が、このリハビリの間も背番号を空けて待ってくれましたし。思い込みというか、根拠のない自信とそれが、結果的につながっているんだと思います」。これからもチームの勝利のために、腕を振り続ける。

(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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