「やると思わなかった陸上」で涙した高3の夏 県No.1進学校、ソフトテニス部がなく…偶然から2年半で全国決勝へ――松山東・木下未亜
やると思っていなかった陸上だった。女子400メートル障害決勝に進出した木下未亜(松山東3年)は、中学時代に打ち込んだソフトテニスが学校になかったため、陸上部に入部。偶然の出会いから魅力に取りつかれた。県の公立No.1進学校で文武両道を貫いた3年間。卒業後には次の夢を描いている。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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やると思っていなかった陸上だった。女子400メートル障害決勝に進出した木下未亜(松山東3年)は、中学時代に打ち込んだソフトテニスが学校になかったため、陸上部に入部。偶然の出会いから魅力に取りつかれた。県の公立No.1進学校で文武両道を貫いた3年間。卒業後には次の夢を描いている。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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流した涙は、それだけ陸上に本気になれた証しだった。
大会3日目、3組によるタイムレース形式で行われた女子400メートル障害決勝2組。「目標は入賞」。決意を宿した胸に「松山東」の3文字をつけ、木下が駆け出した。
前半から飛ばす。軽快なハードリング。十分に入賞を狙える展開だった。ところが――。後半、思うように脚が動かない。これが、全国の難しさか。
1分0秒79。組7着、総合18位。入賞圏内まで0秒79届かなかった。
「実力不足でした。まだまだ足りない。思い描いたレースも全然できなくて、全国の舞台で最大の力を出す難しさを痛感した。応援してくださった方々に不甲斐ないレースでした」
目を真っ赤にして悔しさを吐き出した。ただ、そう語る場所は、3年前に想像もしない舞台だった。
松山東と言えば、夏目漱石が英語教師として赴任した旧制中学を前身とし、小説「坊っちゃん」のモデルとなった学校。公立で県No.1の進学校で知られる、通称「東高(ひがしこう)」だ。
木下にとって、松山東は憧れだった。「高校は勉強で入りたい」。部活より「東高」に合格することが先。だから、入学後は「陸上をしようとは全然思っていなかった」。
中学まで打ち込んだソフトテニスを続けたかった。ところが、松山東にはソフトテニス部がない。「どうしよう……」。迷っていたところ、入学直後の体力テストで、テニスコートで培った脚力を見た先生、先輩から「やってみない?」と勧誘され、陸上部入部を決意した。
偶然の出会いから、走ることの面白さに取りつかれた。
「ずっと(量を)走る練習をするのかと思っていたら、走るための体の使い方の練習が多くて、考えることがいっぱいあって難しい。でも、すべてが繋がって自己ベストが出た時は他のスポーツより嬉しいです」
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