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「違和感がずっと心に…」サッカーを辞めた高木美帆、15歳の決断 スケート専念で従った「感覚」

多感な思春期を、トップアスリートたちはどんな思いを抱きながら駆け抜けたのか。キャリアを積み重ねた今だからこそ見える景色とは――。THE ANSWERが各競技を代表するアスリートたちの“原点”に迫るインタビュー連載「10代のジブンへ」。スポーツに勉強に一生懸命だった日々を振り返りながら、その後のキャリアにつながった経験、人生を変えた出会いや言葉などを思い起こし、今を生きる中高生アスリートにメッセージを送る。

今年4月に現役を引退した高木美帆さん【写真:松橋晶子】
今年4月に現役を引退した高木美帆さん【写真:松橋晶子】

連載「10代のジブンへ」第1回、高木美帆(スピードスケート)前編

 多感な思春期を、トップアスリートたちはどんな思いを抱きながら駆け抜けたのか。キャリアを積み重ねた今だからこそ見える景色とは――。THE ANSWERが各競技を代表するアスリートたちの“原点”に迫るインタビュー連載「10代のジブンへ」。スポーツに勉強に一生懸命だった日々を振り返りながら、その後のキャリアにつながった経験、人生を変えた出会いや言葉などを思い起こし、今を生きる中高生アスリートにメッセージを送る。

 第1回に登場するのは、今年4月に現役引退を表明し、8月に国民栄誉賞を受賞したスピードスケートの高木美帆さん。数々の記録を打ち立て、五輪の歴史にも名を刻んだ天才スケーターの原点を語る上で欠かせないのが、自らの前を歩み続けた兄と姉の存在と、幼少期からの“マルチスポーツ”の経験だ。刺激に満ちた日々を過ごすなか、自ら考えて実行する大切さに気づいたことが、中学3年生でのバンクーバー五輪出場につながった。(取材・文=二宮 寿朗)

 ◇ ◇ ◇

《スピードスケート界の第一線で長く活躍し、冬季五輪では日本人アスリート最多となる10個のメダルを手にした高木美帆さんは、中学3年時の15歳でバンクーバー冬季五輪に出場するなど早くから注目された存在だった。1994年5月、北海道・幕別町生まれ。3人きょうだいの末っ子で幼少時代からスケート、サッカーを始め、のめり込んでいったのも兄と姉の影響が大きかったという。そして自分がやることに対して責任を持つ大切さを教えてくれたのが両親であった――》

 もし兄と姉がいなければ、私が経験してきたスポーツはおそらくやっていなかったんじゃないかなと思っています。それくらいの影響がありました。2人の後を追えば良かったので、こういうふうにやればいいって分かりやすかったですし、おかげで当たり前のようにやれることも多かった気がします。できないことがあると周りに思われるのはあんまり心地良くなかったし、やるからにはどれもちゃんとやれるようにしたいという気質ではあったかなとも思います。年齢が上がっていくにつれても2人が悩んだり、葛藤したり、その過程を見せてくれていたので私ならどうすればいいかと早め、早めに考えられたことも大きかったなと感じます。

 末っ子ならではの特権もありましたけど、末っ子ならではの我慢を強いられる部分もありました。両親の教育方針というものを直接、聞いたことはありません。ただ「継続する力を身につけてほしい」とはずっと言われていました。私がやりたいことに対して口出しされた記憶はなく、自分で決めたらしっかり責任を持ってやりなさい、とだけ。だから取り組む姿勢に対しては厳しかったですね。いっぱい遊んで疲れたから“今日はやらなくてもいいや”みたいなことは許されませんでした。継続する力は小さい頃から身についていたかなとは思います。

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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