「違和感がずっと心に…」サッカーを辞めた高木美帆、15歳の決断 スケート専念で従った「感覚」

スケートへの専念は当時の自分の感覚に従っただけ
《高木さんはバンクーバー五輪に出場後、帯広南商高に進学。サッカーにひと区切りをつけ、スピードスケートに専念するという大きな決断を自ら下すことになる》
もしサッカーでも何か実績を残せていたら、(スケートに専念する)考えがひょっとしたら違っていたかもしれません。サッカーに対しては、割と「違和感」みたいなものがずっと心にありました。先ほども話したとおり、スケートでは頭が働くのに、サッカーでは何をしたらいいのかアイデアが鮮明でないことが多かったので。とはいえ、そのことが「自分に合う、合わない」のジャッジになったわけではありません。専念する形になったのは、ただただ当時の自分の感覚に従っただけだとは思います。その時は考えていることをまだまだ言語化するには難しい年齢でしたし、大人になって振り返った時にこうやって紐解くことができただけのこと。
10代というのは中学、高校、大学への進学だとか、それとも就職だとか、変化のたくさんある年代です。周りの環境だってどんどん変わっていきます。私自身、15歳で五輪に出たことを踏まえてもすごく変化がありました。変化に対して、自分の感覚を大切にしていたのかなとは思います。
高校の入学式は、(五輪に出て)どんな空気になるのかなって、ちょっと嫌だなと思った記憶はあります。ただ、友達や先生にすごく恵まれました。分け隔てなく接してくれる周りだったので、(人間関係を)こじらせることもなかった。スケートだけに集中したいという欲求もありませんでした。むしろあったのは、とにかく高校生活を満喫したいという思い。逆にそれが良かったなって、今でも感じています。
(15日掲載の中編へ続く)
■高木 美帆 / Miho Takagi
1994年5月22日、北海道中川郡幕別町生まれ。幼少期から様々なスポーツに親しむなか、5歳から始めたスピードスケートで頭角を現すと、中学2年だった2009年2月のジュニアW杯で優勝。その後、国内代表選考会を勝ち抜き、翌10年バンクーバー五輪に日本スピードスケート史上最年少の15歳で出場を果たす。帯広南商高、日本体育大でも実績を積み上げたが、14年ソチ五輪代表選考会で敗れて落選。その悔しさを糧にオールラウンダーとして飛躍を果たすと、18年平昌五輪で3つ、22年北京五輪で4つのメダルを手にした。今年2月のミラノ・コルティナ五輪で3つの銅メダルを加え、日本女子最多となる通算10個の五輪メダルを獲得。26年4月に現役引退を発表した。
(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)
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