「俺、何してんのや」 号泣から始まった海外挑戦、堀江翔太が人生の岐路で貫き続けた逆算思考

元々リーダーシップを取るタイプじゃない
《堀江さんは4年生になると部のキャプテンに選出される。リーダーシップ気質に溢れていると思いきや、本人の自己分析では真逆だという。堀江キャプテンのもと帝京大は大学選手権で準決勝まで勝ち進み、惜しくも早稲田大に敗れる》
4年生になって部員のなかで学生コーチとキャプテンを決める時に、まず学生コーチが決まらない。試合に出ないでコーチ側に回るので、誰もやりたがらないんです。小学生の時にサッカーのGKをやった時と一緒で、誰もやらないんだったら俺がやるよって手を挙げたら、同級生から「お前がやるのは違う」と言われて。結局、話し合いだと決まらないのでそれぞれ紙に書くようにして、キャプテンのほうに選ばれたという流れでした。
元々、リーダーシップを取るタイプじゃないんです。前に出ていきたいとも、まとめていきたいとも思わない。自分の好きなことをやらせてもらえたら、それだけで十分。でも決まった以上は、しゃあないですよ。じゃあやりたいようにやらせてもらう、と。まあ、でも岩出(雅之)監督からは、よう怒られましたね(笑)。
《堀江さんはこれまで、人生において大きな決断をしてきた。大学卒業後、三洋電機ワイルドナイツ(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に加入するも、「スーパーラグビー」に憧れ、ラグビー選手としてもっと上のレベルを目指すために、ニュージーランドのカンタベリーアカデミーに留学。それもフランカー、ナンバーエイトという本来のポジションを捨てて、フォワード第一列のフッカーに転向する。誰に言われたのでもなく、自分自身でその道を選んだ》
ニュージーランドから帝京大学に教えに来たスティーブ・ドッジさんというコーチがカンタベリー州のセレクターもやっていて、フッカーを集めていると聞いたんです。僕の身長は180センチで(第3列としたら)大きくない。大学の時から社会人のなかに入っても全然通用するっていう謎の自信があったので、上を目指すならフッカーしかないと考えていたところでした。自分のことをまったく知らない環境に身を置いたら、フッカーの堀江翔太しか知らないので、いくら下手くそでもフッカーとして扱ってくれると思いました。ニュージーランドは世界一のラグビー大国。ここで学べばフッカーの一番の近道になる、とも。海外まで行けば逃げ場もありませんから。
ドッジさんに誘われ、両親に借りた20万円を握りしめてニュージーランドに行くことになります。英語なんてしゃべれないし、そもそも一人で海外に行ったことがない。出発当日、バスのなかで大の男が号泣しました。行きたくない、日本を離れたくないって思うと、もうどうしようもなくて。自分で決めたのに、嫌でたまりませんでした。
ニュージーランドでの日々は大変でした。英語ができないからコミュニケーションも取れず、練習ではボールも回ってこない。日常会話を増やしながら、徐々に覚えていった感じですね。練習以外の時間では学校で用務員をやっていました。屋根の修理とか、ビーズクッションのビーズの入れ替えとか、塀の苔をヘラで取るとか、頼まれたらもうなんでも。ただ「俺、ここで何してんのや」とは何度も思いましたけどね。
結局半年間だけではありましたが、フッカーのベーシックなスクラムワークから学べた経験はかなり大きいものになりました。
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