「俺、何してんのや」 号泣から始まった海外挑戦、堀江翔太が人生の岐路で貫き続けた逆算思考
多感な思春期を、トップアスリートたちはどんな思いを抱きながら駆け抜けたのか。キャリアを積み重ねた今だからこそ見える景色とは――。THE ANSWERが各競技を代表するアスリートたちの“原点”に迫るインタビュー連載「10代のジブンへ」。スポーツに勉強に一生懸命だった日々を振り返りながら、その後のキャリアにつながった経験、人生を変えた出会いや言葉などを思い起こし、今を生きる中高生アスリートにメッセージを送る。

連載「10代のジブンへ」第2回、堀江翔太(ラグビー)後編
多感な思春期を、トップアスリートたちはどんな思いを抱きながら駆け抜けたのか。キャリアを積み重ねた今だからこそ見える景色とは――。THE ANSWERが各競技を代表するアスリートたちの“原点”に迫るインタビュー連載「10代のジブンへ」。スポーツに勉強に一生懸命だった日々を振り返りながら、その後のキャリアにつながった経験、人生を変えた出会いや言葉などを思い起こし、今を生きる中高生アスリートにメッセージを送る。
ラグビーの元日本代表フッカー(HO)堀江翔太さんのキャリアを振り返った時、ワールドカップでの活躍とともに印象的なのが、海外挑戦をしてきた姿だ。大学を卒業して間もない時期にニュージーランドへ留学すると、2013年にはオーストラリアのレベルズに加入し、10代の頃から憧れていたスーパーラグビーに初参戦を果たす。数々の夢を現実のものにしてきた背景には、ラグビーに対する変わらぬ情熱があった。(取材・文=二宮 寿朗)
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《花園には届かなかったものの、ラグビーに熱中できた高校3年間。堀江翔太さんは進路選択において、大学でもラグビーを続けたいという希望を持っていた。慣れ親しんだ関西を離れ、のちに大学選手権9連覇の偉業を果たす帝京大学に進学することを決断する》
ラグビーをするのは好きでしたが、観るのは友達に録画してもらう「スーパーラグビー」くらい。高校生の頃、社会人ラグビーや大学ラグビーをほとんど観ることはなかったんです。だからどの大学が強いのかもよく分かってはいませんでした。ラグビー部のある関西の大学を探そうかなと思っていると、島本高校に筑波大出身の先生がいて、「もし本気で大学ラグビーをやるなら関東のほうがいい」と勧められました。高2の終わりだったか、高3の始めだったか忘れましたが、帝京から声をかけていただきました。
帝京が強いのかどうかも知らない。それでも高校でうまかった先輩が帝京のセレクションで落とされたことを知っていて、なんとなく「帝京って凄いんや」と思っていた記憶はありました。オカンからは関東に行ってほしくないと言われましたけど(笑)。
早めにオファーをいただいて、「関東のほうがいい」と言ってくれた先生のアドバイスも頭にあったので、特に悩みもしなかったとは思います。高3になって関東のほかの大学から誘いはありましたが、もう決まっているんでとお断りしました。
晴れて帝京ラグビー部の一員になりましたが、練習があまりにきついことには驚きましたね。高校時代が全然軽く思えるほどで、かつ、組織的なラグビーというものを叩き込まれました。自由にラグビーをやっていた僕にはとても新鮮で、日々の生活においてもいろんな約束ごとがあって大変ではありましたけど、必要なことを吸収していきました。
大学時代の思い出と言えば、やっぱり掃除です。みんなが過ごす合宿所が汚れているようでは強くならないというのが部の考えにはあって、これを下級生にやらせるんじゃなくて“みんなでやったらはよ済むやん”というのが僕の考え方でした。下駄箱周りを僕が掃いていたら同級生も、気づいたら4年の先輩まで掃除をするようになって、いつしか上級生が掃除をするという帝京の伝統につながっていくんです。
ただボール磨きとか洗濯とか、ちゃんと敬語を使うとか、1年生がやらなあかんことはちゃんとやってもらいつつも、ただ1年生が手いっぱいになったらみんなで手分けしてやりました。別にチームを一つにするとか、大きなことを考えていたというのではまったくありません。
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