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日本を、野球を愛した陽岱鋼の20年 巨人退団から続けた“挑戦”…引退表明まで知られざる最後の5年間

炎天下の2軍戦でも相手チームへの挨拶を欠かさない【写真:羽鳥慶太】
炎天下の2軍戦でも相手チームへの挨拶を欠かさない【写真:羽鳥慶太】

最初は驚いた日本の習慣…米国でも繰り返した体当たり

 まず当時、福岡第一高を率いていた平松正宏監督に圧倒された。「あの雰囲気、あの威圧感。これはもう悪いことしちゃダメだって、すぐ思いました」と苦笑い。「でも、本当に会えてよかったです」と懐かしむのは、しっかり帽子を取って挨拶するよう教えられたことだ。「日本の文化には上下関係、すごい縦社会がある。やっぱり厳しかったです。高校の監督もそうですし、プロに入ってからもいろんな人たちに教えられましたね」。そして、その意味に気づくまでに、時間はかからなかった。

「先輩にしっかり挨拶をする。日本では当たり前のことです。帽子も、サングラスも取らないと。しっかり大きな声であいさつした先輩が僕のことを覚えてくれて、つながっていくじゃないですか。『あいつ来るの遅いな』みたいに冗談で言いながら、教育してくれたんです。(森本)稀哲さんとか、稲葉(篤紀)さんとかが」

 日本ハムで先輩に可愛がられ、やがて中堅のレギュラーをつかむ。ゴールデングラブ4回、盗塁王1回という実績以上に、華やかなプレーでスタンドを沸かせた。そして巨人にFA移籍。5年契約が終わる2021年のオフに、自ら退団を選択する。

「もう、後はないなと思っての行動でした。違う視野を得るために、アメリカで勝負しようと思ったんです」

 巨人からは再契約を提示されていた。それを蹴ってまで、翌2022年は米国の独立リーグに身を投じた。さらに冬も豪州のウインターリーグでプレーし、2023年には米国の独立リーグで最もレベルが高いとされるアトランティック・リーグのハイポイント・ロッカーズに加入。打率.271、10本塁打という成績を残した。

 日本でつかんだ居場所を手放しての挑戦で、再び試行錯誤。必要なのは自ら異国の文化に近づき、全力でぶつかること。日本で繰り返したのと同じだった。

「試合に出るには、チームでの勝負に勝たないといけない。そのためにはまず、飛び込むしかないと思ったんですよね。通訳がついていたら、なかなか認めてもらえない。だから1人で行って、みんなと一緒に生活して、英語を覚えようとするのを見て『何だこいつ、クレイジーだな』と思ってくれるようになった。あと、全力プレーがチームに伝わったのもあると思います。見ていてくれる人はいるんですよ。やっぱり」

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