引退会見から6時間、ボロ負け2軍戦で陽岱鋼が貫いた生き様 円陣の真ん中で…訴えた「やらなきゃいけないこと」

異国で生き抜くための「ツール」後輩たちにも「勉強した方が」
引退会見で陽は、台湾から日本球界入りした後輩たちへのアドバイスを求められると「日本の文化を知った方がいいと思うんです。違う部分もある。他の国でプレーするとき、その国の文化と言葉を少しでもいいから勉強した方がプラスになる」と口にした。
この言葉で、思い出したシーンがある。2024年の開幕直後、日本ハムとの試合で千葉・鎌ケ谷の球場を訪れた時のことだ。この年、台湾の高校を卒業して日本ハム入りした孫易磊投手が、緊張の面持ちでオイシックス側のベンチ裏にやってきた。記者が「易磊が挨拶したいって来ているよ」と呼びに行くと、ロッカーから出てきた陽は孫易磊に日本語で「お疲れ!」と話しかけたのだ。
きょとんとする孫易磊。陽もここで我に返ったのか「あ、台湾語でいいのか」と苦笑いし、言葉を切り替えて会話を進めた。日本にいる時、陽の頭の中は完全に日本語に切り替わっているのだなと思わされた。
「僕は、言葉を切り替えるのが遅いんです。どうしても日本語が入ってくるし、そっちの方がスムーズなんですよ。だから台湾の後輩たちにも、日本語を勉強していますと言われたらうれしいですよね」
陽の野球人生にとって、日本語はどんな意味があったのかと聞いたことがある。「だって、必死でしたよ。高校の時は先輩や監督が何を言っているのかわからなければ怒られたし……」。最初は目標に向かって、がむしゃらに突っ走る中で必要不可欠なツールだった。
さらに、プロとして年輪を重ねた後で、その重要性に再度気付かされたという。「海外でプレーする上で一番大事なのは言葉なんですよ。その国の言葉を覚えようとすること。アメリカに行った時、1人で飛び込んで必死に英語を使いました。そうすると、まわりの選手が認めてくれるんです」。最初はよそよそしかった選手の態度が変わった。陽は「こいつ、クレイジーだなって言われるようになった」と愉快そうに振り返る。たった1人の挑戦の中で、何よりの賛辞だった。
指導者になりたいという夢はあるが、今後は日本と台湾のどちらに拠点を置くかも含めて未定だという。頭の中にあるのは、シーズンが終わる9月末まで、全力で駆け抜けることだけ。「やり切ったというより『良く頑張ったな、自分』とは思います。よく折れなかったなと。だから最後まで全力でやらないと。やり切ります」。日本に馴染み、壁を越えた。記録より記憶に残るスター陽岱鋼の物語が、最終章を迎える。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)
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