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「人生4周分の注射」で耐えたW杯 手術8度、ビジネス雄叫び…最高に“漢”だったラグビー人生――垣永真之介

早稲田大に進学した垣永、選択の理由もカッキー流だった【写真:産経新聞社】
早稲田大に進学した垣永、選択の理由もカッキー流だった【写真:産経新聞社】

幼稚園の年長組で体重40kg ラグビーを始めた理由は「太り過ぎていたから」

 その第一歩からして、カッキーらしい。

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「ラグビーを始めた理由は、太り過ぎていたから。幼稚園の年長組で40kgありました。周りからスポーツをやらせた方がいいと」

 最初に入ったのは、当時住んでいた神奈川の鎌倉ラグビースクール。だが、小学校入学のタイミングで移った福岡での名門「草ヶ江ヤングラガーズ」からが本格的なラグビーキャリアになった。当時は、スクールレベルでも厳しい練習は当たり前。本人も「小学生にやらせる練習じゃなかった。なんでこんなに走ってんだろうという練習だった」と回想するが、そんな環境でもラグビーを辞めなかった理由も明快だった。

「友達ですね」

 小学校入学前から既に“気は優しくて力持ち”タイプだったが、学校内や放課後に遊ぶのは、ほぼ全員ラグビースクールの仲間だった。「小学校の友達ってあまりいなかったんです。だから、ずっとラグビーの仲間とばかり遊んでいた。同じサンゴリアスの下川(甲嗣、FL)のお兄ちゃんとかとずっと一緒でした」。カッキー少年にとっては、ラグビースクールを辞めることは、ほぼ全ての遊び仲間を失うこと。だから過酷な練習も耐え続けた。

 友達を失いたくない。そのための努力がカッキー本人にとって恩恵となったのが、特待生待遇での東福岡高入学だった。「すでに今に近いフォルム(体つき)でしたから、声を掛けていただいた」と本人は控え目に話したが、当時は全国屈指の名門校でもなかなかいない破格のサイズ。「ヒガシにデカいPRがいる」という噂は全国に広まった。

 そんな名門高校で始めたのが、選手キャリアの最後までトレードマークとなった“雄叫び”だった。「うぉぉぉぉぉ」「おっしゃあ!」。試合中、勝負に影響するスクラムの前後や、相手ボールをジャッカルした時などに絶叫する姿がスタンドを沸かせファンを増やしたが、本人は飄々と振り返る。

「最初はチームを盛り上げるつもりでやったんですが、やったらやったで辞められなくなっていった。監督やコーチも『やれ』と言うし、いつの間にか(定着した)。なので、あれって“ビジネス雄叫び”なんです。でも僕はああいうのやる選手がいた方がいいかなと思っています。ラグビーってメンタルなスポーツなんで、理屈や理論だけじゃなくてね」

 お気付きかと思うが、物事をあまり“重たい”方向に捉えたり、構えた表現をしたりするのが好きではないのがカッキーらしさだ。最終学年では主将も任された早稲田大への進学も、選択理由はカッキー流だ。

「僕が早稲田に行った時には、先輩に佐々木隆道さん(現トヨタヴェルブリッツ・アシスタントコーチ)や青木(佑輔)さん(サンゴリアス・アシスタントコーチ)たちが活躍して、早稲田旋風を起こしていた。僕自身は大学ラグビーとか全然見てなかったので、そこまでラグビーに興味ないながらも、格好いいなとは思っていた。結果的に早稲田に行けて良かったですよ」

 まさに我が道を歩んできたカッキーだったが、大学卒業後の進路を考えた時からは“その先”を見据えていた。

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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