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「引退する日まで精神安定剤を飲んでいた」 鈴木明子が自ら明かすメンタルヘルス問題

自分なりの弱さを受け入れることでやっと前に進めたという鈴木さん【写真:松橋晶子】
自分なりの弱さを受け入れることでやっと前に進めたという鈴木さん【写真:松橋晶子】

弱さを認められなかった自分、当時の想いは「薬に頼る=負け」

 そしてある日の練習中、ダブルアクセルを跳んだ瞬間に平衡感覚を失い、体が吹っ飛んで膝から落下。そこで初めて、病院で診察を受けることになります。

「今はきちんと睡眠をとって、体だけでなく心もしっかり回復しましょう」。診察後、お医者さんに提案されたのが睡眠安定剤の服用でした。

 その時、真っ先に「薬を飲まなければいられないなんて、私はなんて弱いんだ」と頭をよぎりました。当時の私にとって「薬に頼る=負け」。今思えば「謎のアスリート魂」としか言いようがありませんが(笑)、周りの選手は普通に練習して試合に出ているのに私にはできないのか……と受け入れがたい気持ちでした。

「今あなたが一番したいことはいいパフォーマンスをして試合に持っていくことでしょう? しっかり眠れるようになれば、今抱えている問題は解決する。ドーピング検査に引っ掛からない薬を使ってみましょう」と先生。

 それでも、自分の「弱さ」をどうしても認めることができなかった私は、「ありがとうございます。お薬を飲んでしっかり寝ます!」とは言えませんでした。

 当時の私は、ずーっと不安と戦い、1日中、神経が高ぶっている状態でした。処方されたお薬を飲むと、フッと心が落ち着き、しっかり眠れるように。おかげできちんと練習ができるようになり、練習ができているという自信から、心も安定。パフォーマンスも、どんどん上がっていきました。

 そのとき気づいたのは、「スポーツ選手に弱いところがあって、何が悪いのだろう」ということです。

 アスリートであっても、すべてにおいて強くなくてもいい。このお薬は、自分が心技体を整えるために必要なもの。弱いなら弱いなりにやっていこう。私は自分の弱さを受け入れたことで、やっと前に進めました。

 その後、全日本選手権で初優勝し、ソチ大会の出場権を獲得。引退試合となった世界選手権を終えて、お薬も手放しました。

(12日掲載の後編「便箋4、5枚で『お前なんて早く引退しろ』 鈴木明子が考える誹謗中傷からの心の守り方」へ続く)

(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

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鈴木 明子

THE ANSWERスペシャリスト プロフィギュアスケーター

1985年3月28日生まれ。愛知県出身。6歳からスケートを始め、00年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。10年バンクーバー五輪8位入賞。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で現役引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、全国で講演活動も行う。

長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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