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引退・陽岱鋼を“叱った”人物「こっちがコーチ失格」 レジェンドが語る伝統の伝え方…ずぶ濡れ引退式に見た絆

引退会見に稲葉さん(右)が現れると陽は号泣【写真:羽鳥慶太】
引退会見に稲葉さん(右)が現れると陽は号泣【写真:羽鳥慶太】

全力疾走を教え込んだ稲葉篤紀さん「結構キツく言った」理由

「もっともっと、関わりたかった選手だよな」という清水さん。さらに「結構キツく言ったことも、あったかもしれないね」と振り返るのは、稲葉篤紀2軍監督だ。現役引退する2014年までの9年間、陽とはチームメートだった。

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「走れということはメチャクチャ言ったね。若い頃の岱鋼は、テレテレやってることもあったものだから」。稲葉さんは、守備位置までの全力疾走を引退まで貫いたことでも知られる。「長くやるためには走っておいた方がいいということもあるけど、やっぱりファンの皆さんが見ているわけだからね」と、プロとしてやらなければならないことを伝えていった。

「それで岱鋼が長くやれたかどうかはわからないよ」と言うが、陽は稲葉さんがサプライズで8月1日の引退会見に現れると号泣。2人の思い出として「走れって言われたことですね。やっぱり」と口にした。

 2010年、陽が右翼のポジションをつかむと、右翼の名手だった稲葉さんが戻るポジションがなくなった。そこからは大学時代のポジションでもあった一塁に戻っていく。どこかで、望んでいた結果だった。「岱鋼も、(糸井)嘉男も、(中田)翔もそうだけど、こいつらがポジションを獲るチームにならなきゃダメだとはずっと思っていたよね」。3人が外野に並んだチームは、2012年にリーグ優勝を果たす。一方で「それでも、俺も負けねえよと思ってやっていたよ。そうしないとチームは強くならないから」。そして指導者となり、痛感していることがある。

「あの頃は俺も現役で走っていたから、聞いてくれたんだと思う。今、こうして監督になると、やっぱり説得力というのがなくなってくるんだよね。こういうのは選手同士で伝えていかないと意味がないんだよ。やっぱり」

 今年5月、オイシックスが鎌ケ谷に遠征した際に、陽から「決めました」と現役引退を告げられた。「体がボロボロなのは、俺もそうだったからわかる。最後までやり切ってほしいよね」。プロとしての技術を磨いた地に戻ってきた“弟子”を、優しい目で見守っていた。

(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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