日本人初の五輪金は“穴狙い”だった 身長167cmで欧州勢撃破…三段跳びで見い出した1世紀昔の攻略法
「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第7回は「日本人初の五輪金メダルと“三段跳び戦略”」をひも解く。

「THE ANSWER 陸上PLUS|COLUMN」 荻島弘一の陸上クロニクルVol.7
「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第7回は「日本人初の五輪金メダルと“三段跳び戦略”」をひも解く。
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これまでの五輪で日本が獲得した金メダルの数は夏冬合わせて211個。その第1号を手にしたのは今から98年前、1928年アムステルダム大会陸上競技男子三段跳びの織田幹雄だった。1912年ストックホルム大会で日本が五輪に初挑戦してから4大会目(1916年大会は中止)、まだまだ欧米との差が大きい時に金メダルを獲得できたのは「穴狙い」だったからだ。
きっかけは1924年パリ大会だった。19歳で初出場した織田は走り幅跳びで予選落ちしたものの、三段跳びは決勝に残って6位。日本陸上界初の入賞(当時6位以内)を果たした。本命のつもりで挑んだ走り幅跳びよりも2年前に始めた三段跳びで結果が残せたことで「4年間、一生懸命努力すれば、次はメダルが取れるかもしれないと思った」のだ。
この三段跳びこそが「穴」だった。五輪では第1回大会から行われているものの、競技として未成熟で技術も発展途上。当時は助走路も硬く、足に大きな負担がかかった。故障のリスクを恐れて回避するジャンパーも多く、1924年大会は34人で競った走り幅跳びに対し三段跳びは20人しか出場しなかった。
幼少期から家の手伝いで風呂焚きとまき割りが日課だった。広島一中(現広島国泰寺高)に入学した当時は陸上部がなく、全国的な強豪だったサッカー部の左ウイングとして両足のキックを磨いた。そんな経験が強靭な脚力を作ったのかもしれない。167センチと小柄だったが、その分着地の際の足への負担が軽かったことも着地の衝撃をやわらげた。
コーチも不在で、日本語の技術書などもなかった。世界中から陸上に関する書籍を取り寄せ、読みあさり、工夫しながら技術を磨いた。第一早稲田高等学院(現早大高等学院)、早大と進み、競走部で活躍。2度目の五輪となった1928年大会は走り高跳びで8位に終わり、走り幅跳びでも11位と入賞を逃したが、8月2日の三段跳びこそが本命種目になっていた。
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