「カッコつけていた」19歳のジブン 高木美帆がソチ五輪落選を「挫折ではない」と断言する理由

ソチ五輪落選時に心に刻まれた、忘れられない言葉
《雌伏の時を経て、2015~16年シーズンからはヨハン・デビッドコーチとの出会いによってフィジカルトレーニングや目標設定など強くなる自分をよりイメージでき、飛躍の階段を駆け上がっていく。2018年の平昌五輪では1500メートルで銀メダル、1000メートルで銅メダル、そして団体パシュートで姉・菜那さんらとともに金メダルを獲得。4年後の北京五輪では1000メートルでの金メダルをはじめ4つのメダルを手にし、そして今年のミラノ・コルティナ五輪では3つを加えた。10個のメダル数は冬季五輪において日本人アスリート最多。自身4大会目の五輪を花道に、競技生活を引退した。ソチ落選の経験なくして、この輝かしいキャリアはなかった》
【注目】「この体重でも跳べるんだ」 月経異常や骨密度低下を経験、引退後に気づいた数字に縛られない体作り(W-ANS ACADEMYへ)
私が大切にしている言葉の一つに、「素直な心を持つ」があります。ソチ五輪で落選した時、ある方に送っていただいて今も心に残っています。周囲に対する敬意を忘れないように――。私は、そのように受け止めました。
幼少の頃、自分のやりたいことはやらせてもらえた環境だったので、両親に、家族に、そして環境には感謝しかなく、いろいろ恵まれた私がアドバイスといっても参考になるかどうかも分かりません。
ただ一つ自分の経験上、はっきり言えることがあるとすれば、私のすべての経験、すべての出会いが必要でした。良い経験ばかりではなく、つらい経験もありました。出会いにしても気の合う人ばかりではなく、ちょっと苦手だなって思う人もいました。でもつらい経験にしても、ちょっと苦手な人にしても、そのおかげで気づかされることも多々ありました。そのおかげで自分なりに学ぶことができました。すべての経験、すべての出会い……これからの人生においても大切にしていきたいと思っています。
■高木 美帆 / Miho Takagi
1994年5月22日、北海道中川郡幕別町生まれ。幼少期から様々なスポーツに親しむなか、5歳から始めたスピードスケートで頭角を現すと、中学2年だった2009年2月のジュニアW杯で優勝。その後、国内代表選考会を勝ち抜き、翌10年バンクーバー五輪に日本スピードスケート史上最年少の15歳で出場を果たす。帯広南商高、日本体育大でも実績を積み上げたが、14年ソチ五輪代表選考会で敗れて落選。その悔しさを糧にオールラウンダーとして飛躍を果たすと、18年平昌五輪で3つ、22年北京五輪で4つのメダルを手にした。今年2月のミラノ・コルティナ五輪で3つの銅メダルを加え、日本女子最多となる通算10個の五輪メダルを獲得。26年4月に現役引退を発表した。
(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)
![[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト](https://the-ans.jp/wp-content/themes/the-answer-pc-v2/common/img/logo_c1.png)









