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「復興の町」にラグビーW杯がやってくる 釜石“伝説のLO”桜庭吉彦の挑戦

目標ベスト8は「いけると思います。僕らの時代と大きく違う」

 その大会で、若手の桜庭氏がジャージーに袖を通したのは、オーストラリア代表との第3戦だった。勝てると挑んだ米国に敗れ、イングランドに大敗しての試合だったが、世界トップクラスのチームと途中までは競り合う展開に、「それ以降のラグビー人生でも自信を持てた試合だった」と回想する。


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 桜庭氏のプレースタイルといえば、当時は破格のサイズだった192センチの長身にも関わらず、ひたむきにボールを追い、密集戦で体を張るのが持ち味だった。名門・秋田工高で全国制覇を果たしたエリート選手だったが、当時の新日鉄釜石で、献身的なプレーを叩きこまれて“リアル・ロック(LO)”に進化していった。その姿は、田沼広之、大野均という後輩LOにも引き継がれている。

 選外だった91年大会を、桜庭氏自身は「出場にかける思いが足りなかった」と語ったが、当時の宿沢広朗監督(故人)が大型化を目指して選んだ外国人選手に押し出されたのが理由だった。もし、桜庭氏が選ばれていれば初の4大会連続出場という偉業も叶えられたはずだ。

 長く日本代表に足跡を残してきた桜庭氏だが、いまの日本代表の進化には目を見張る。

「僕らの時代と大きく違うのは、選手1人1人がプロフェッショナルなマインドを持っているということですね。意識が高いと思います。もちろん、社員選手もいますけど、ラグビーに向き合う姿勢はプロといっていい」

 目指すベスト8以上という目標についても、「着実に力をつけていて、ティア1の下位チームには、ほぼ対等な試合ができる。(8強は)いけると思います」と期待を膨らませている。

 現役時代には夢にも思わなかった日本代表のベスト8入り。そして、釜石でのワールドカップ開催。桜庭氏の2つの夢が叶うときが近づいている。

桜庭 吉彦(さくらば・よしひこ)
1966年9月22日、秋田県出身。秋田工高3年で全国制覇を果たし、当時社会人ラグビーの強豪だった新日鉄釜石に入社。ポジションはLO。86年に日本代表入りして、87、95、99年ワールドカップ3大会に出場。代表通算43キャップ。チームがクラブ化して釜石SWとなった01年シーズンで現役を引退してヘッドコーチに就任。05年に現役復帰するが、06年からチームアドバイザー、16年からGM。

(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)




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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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