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スター軍団で唯一の「生き残り」がPO敗退に号泣 創設から7年、チームとともに成長した細川智晃のハンドボール人生【リーグH】

チームの創設メンバーは細川1人になった【写真:中戸川知世】
チームの創設メンバーは細川1人になった【写真:中戸川知世】

創設メンバーの細川智晃「辞めた仲間の分まで…」

 2018年1月20日、東京・杉並区の明大体育館で行われたトライアウト受験者28人の中に細川はいた。ジークの前身、東京トライスターズが「東京から世界を目指す」「東京のクラブで日本一を」を掲げて始めた挑戦。日本リーグチームで戦力外となった選手、一度引退もプレーをあきらめきれない選手、日本リーグから声がかからない大学生たちが集まっていた。

 福井・北陸高から日体大と強豪で活躍したが、日本リーグのチームからオファーはなかった。「教師になるか、普通に就職してクラブで続けるか」と迷っていた時にトライアウトを知った。「ハンドボールが好きだし、続けたかった。日本リーグでプレーしたかったので、目指していると知ってうれしかったですね」。

 もちろん、最初は全員がアマチュア。仕事が終わった後、練習は夜だった。「人数が揃わず、3、4人の時もあった」。毎朝6時半に起き、8時から17時までIT系の会社で営業マンとして働き、その後体育館を渡り歩いて練習。「大変ではなかった。好きなハンドボールができるだけで楽しかった」と振り返った。

 創立1年目の18-19年シーズンから日本リーグ下部にあたる「チャレンジ・ディビジョン」に参戦。2年目の19年7月には20-21年からの日本リーグ参入も決まった。同年12月の日本選手権では日本リーグの強豪・湧永を破りベスト8入り。「あの勝利で、上(日本リーグ)でやれる自信がついた」と話した。

 日本リーグ入りが決まった20-21年シーズン開幕を前に、チームはフューチャー株式会社の傘下となり、20年4月には「ジークスター東京」にチーム名を変更。6月には日本代表の中心選手だったLB信太弘樹、RB東長浜秀希、GK甲斐昭人が移籍で加入した。

 当時の細川にとっては、雲の上の存在ともいえたが「正直、うれしかった。実業団に入れなかった選手の集まりで、何も知らなかったから、すごく勉強になった。信太さんたちから多くのことを学んだ」。日本リーグ1年目、相手のマークが信太や東長浜に集中するスキを突いて細川はゴールを量産した。目標の「PO進出」は叶わず7位に終わったが、チーム最多の75得点でリーグの新人王を獲得した。

 20-21年シーズン途中には東京五輪日本代表のLB部井久アダム勇樹とすでに代表候補に名を連ねていたRB中村翼が中大から加入。21年には東京五輪日本代表主将のLW土井レミイ杏利や代表司令塔のCB東江雄斗らが加わり、22年にはPV玉川裕康、RB元木博紀ら日本代表の主力クラスが次々と移籍で加わった。

 日本のトップスターが加入する一方で、創立当初のチームを支えた選手たちはチームを離れた。引退する選手、他のチームに移籍する選手、いつしか創設メンバーは細川1人になった。「寂しさはあったけれど、辞めた仲間は今も応援してくれている。だから、彼らの分もこのチームで頑張ろうと思える」と話した。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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