「ラグビーって…ええなぁ」 悲運の闘将・宮地克実の真相…敗北の果てに辿り着いた“肯定”
「ラグビーって…ええなぁ」 敗北の果てに辿り着いた“肯定”
サントリー(現東京サントリーサンゴリス)との引き分けではあったが、三洋電機が初めて「優勝」を決めた試合。記者席からグラウンド方向へ降りていくと、チーム関係者席に、変わらない浅黒い顔をした宮地さんがいた。多くの関係者、OBから握手攻めされる中で、コメントを取ろうと捕まえると、絞り出すようにこう呟いた。
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「ラグビーって…ええなぁ」
多くの苦節、敗北があった宮地さんだからこそ、この言葉に説得力があった。そして、宮地さんが楕円球と携わって来たその長い足跡の先に、失望や落胆ではなく、「ええなぁ」という肯定があったことに、勝手に報われたような思いになった。
1987年の第1回W杯で監督も務めたが、平尾誠二、林敏之ら強力メンバーを擁した期待の中で、日本代表は3戦全敗に終わる。当時の国内世論は、世界の趨勢も十分に認知されない中で厳しい批判もあったが、宮地監督は「えらい、すんません」と頭を下げていた姿が印象に残る。実際には、同志社時代の恩師でもある岡仁志前監督の急な監督辞退で、教え子でありFWコーチだった宮地さんに予期せぬ“パス”が回って来たのだが、そんなアクシデントはおくびにも出さずに、準備不足を誰のせいにもせずに謝罪を繰り返していた。
三洋監督時代は、こんな奇策も聞かせてくれた。
「PKの時に、全員が相手に背を向けて横一列に並ぶんや。相手がどう守っていいか分からんうちに、キッカーが背面キックを蹴り上げて攻めたらおもろいやろ」
主将、監督、GMとして宮地さんからも薫陶を受けてきたワイルドナイツの飯島均シニアGMは「おそらく1試合くらい、そんな作戦を使ったと思う」と振り返るが、そんな茶目っ気も宮地さんならではの魅力だった。旧太田グラウンドでは、真冬の練習中にドラム缶の焚火で焼き芋を作って、我々にも振る舞ってくれたのも宮地―飯島時代の「らしさ」だった。こんな遊び心も、今のワイルドナイツに継承されている側面が間違いなくある。
通夜で三洋OBたちとこんな話をしていた。
「こんなにチーム関係者、OB、それに他チームの人たちが集まる葬儀は、もうないかもしれないね」
チームは戦術などの情報管理や、チーム自体の管理体制の充実で、宮地さんが活躍した時代ほど“横の繋がり”が持てない時代になっている。クボタのパーティーでのスピーチのように、監督や選手、関係者がチームを跨いで様々な関係性を深めることが過去の遺物と化そうとしている時代には、この夜の通夜のようにチームの垣根を超えて多くの関係者が集まる場所は急速に減少している。
残念だったのは、宮地さんの訃報の後の週末のリーグワンで、お別れを悼む動きが一切無かったことだ。確かに一チームの指導者であり、既に現場を離れて久しい人物は、公的な立場でリーグに携わる者ではない。理屈では単なる「私人」かも知れないが、宮地克実という人物が、三洋電機ラグビー部の指揮官として、そしてチームの枠を超えて日本のラグビーに何をもたらしたかを考えれば“肩書のない日本ラグビーのVIP”であるのは間違いない。
まだまだ狭い世界の日本ラグビーは、この先、さらにその裾野を広げようとする中で何をレガシーとして継承しながら進んでいくのか。過去に残された軌跡をもう一度再確認するには、この訃報はいい機会になる。
だが、そんな文句がましい文章を書くと、天国からあのダミ声が降ってくるかもしれない。
「そんな記事ええから、もっとチームや選手のいい記事たのんますわ」
天国で再会する平尾さんを、今度こそやっつけてくださいね。
(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)
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