「正しい言葉が話せなくても…」 15歳で受けた衝撃、未知なる環境で学んだ海外で生き抜く術
海外挑戦決断へ、背中を押したチームメートの一言
スペイン行きに向けて動き始めた岡田が紹介されたチームは、2年連続で短期留学をしていたホスピタレットではなく、マドリードの「セントロ・バスケット・マドリード」だった。
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バルセロナとマドリードは大阪と東京ほどの距離しか離れていないが、文化から気候、住まう人の気質に至るまですべてが異なる都市。岡田は大きな不安を抱えて悩んでいたが、これを意外な人物が打ち消してくれた。
「中学のバスケ部のチームメートに、僕より先に勉学でイギリス留学を決めていた子がいたんです。その子に『まだ決めきれないんだよね』と相談したら、何気なく『大丈夫だよ』と言ってくれて。たぶん本人も軽い気持ちで言ったんだと思うのですが、なんだかすごく気が楽になって、7月頃に『行く』と決められました」
3年の夏時点で中学卒業資格を得た岡田は、その秋にクラブの寮に入り、公立高校に併設された留学生向けの語学クラスに進学。チームの練習に参加しながらスペイン語の習得に励んだ。
スペイン語の準備はあまりしていなかったが、英語のリスニング力には自信があった。英語圏の国からやってくる選手も少なくないと知っていた岡田は、多少コミュニケーションについては楽観的に捉えていたが、「ちょっと聞き取れる程度のレベルでは通用しなくて、どうやってコミュニケーションを取ればいいんだ……となりました」と当時を振り返る。
岡田はそこから猛勉強を敢行。2か月程度でリスニングは「結構いける」ようになり、単語を駆使してコミュニケーションをかわせるようになった。早急な語学力アップを押し上げた最大の秘訣は、やはりバスケットボールへの意欲だった。
「最初の練習からめちゃくちゃ楽しかったんです。他のポジションにいい選手が揃っていたので、『早くしゃべれるようになって、信頼をつかめたら大きなチャンスになる』と考えたら、一気にモチベーションが上がってめちゃくちゃ勉強しました」
2012年創設のセントロは、ユース年代の選手育成を重視するクラブで、岡田が所属していた当時は、国外の選手を受け入れることにも積極的だった。ブラジル、メキシコ、フィンランド、アメリカ、セネガル……。多彩な国からやってきた選手たちと、一つ屋根の下での共同生活を送った。
これはセントロに限ったことではないが、スペインの育成組織は年齢とレベルによって細かなチーム分けがされており、上位カテゴリーでプレーできると判断されたらすぐに練習に呼ばれる。岡田自身も、加入当初はU16のAチームに所属しながらBチームの助っ人としてもプレーし、1~2か月ほどでU18のAチームないしBチームの練習に参加するように。2年目からはU18のAチームを主戦場とし、3年目はU18に所属しながらスペイン4部リーグに所属していたセントロのセカンドチームでプロデビューを果たした。
「そういう環境だから、選手たちのハングリーさが日本とは圧倒的に違いました。練習中からお互いを蹴落とすじゃないですけど、チームメートだけど敵という感じ。僕自身も、ポジションが違っていても同期がコールアップされたら悔しかったです」
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