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「トルシエさんの考えは違った」 稲本潤一、20年後の今も抱く日韓W杯トルコ戦の悔恨

決勝トーナメント1回戦のトルコ戦で抱いた不完全燃焼な想いについて語った稲本【写真:編集部】
決勝トーナメント1回戦のトルコ戦で抱いた不完全燃焼な想いについて語った稲本【写真:編集部】

「勝ってくれ」トルコ戦後半のベンチで祈った勝利

「普通、点を取っている選手は、使っていたら何かやるやろなと思ってそのまま使うけど、トルシエさんは違う考えの人でした(苦笑)。正直、チュニジア戦(グループリーグ第3戦/2-0)の時は調子がそんなに良くなかったんです。けど、トルコ戦は、別に何が悪いということはなかった。でも、市川を入れて両サイドを高くして、明さん(明神智和)をボランチにして真ん中を固めた。でも、それやったら自分でもやろうと思えばできるので、その指示を与えてくれよと思っていましたね」

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 選手交代で流れを変えようとするもピッチの状況は好転せず、稲本はベンチの中で、ひたすら念じていた。

「勝ってくれ」

 勝ってベスト8に進出すれば日本サッカー界にとって歴史的な偉業となり、また稲本自身も次の試合に出場して、点を取るチャンスも出てくる。だが、雨の中、思うような攻撃ができないまま試合が終わろうとしていた。

(第4回へ続く)

【第1回】中田英寿と日本代表で初共演「スーパーマンが来た」 若き日の稲本潤一が受けた衝撃
【第2回】日韓W杯で歴史的2ゴールも「活躍した印象ない」 稲本潤一が語る名場面誕生の瞬間

■稲本潤一 / Junichi Inamoto

 1979年9月18日生まれ、大阪府出身。ガンバ大阪の下部組織からトップチームに昇格し、97年に当時のJリーグ最年少記録となる17歳6か月でデビューを果たす。年代別日本代表でも頭角を現し、99年ワールドユース準優勝、2000年シドニー五輪出場を経てA代表の主力に成長。迎えた02年日韓W杯では2ゴールを奪い、日本のベスト16進出に貢献した。W杯には3度出場し、日本代表通算82試合5得点。クラブでは01年のアーセナル移籍を皮切りに欧州7クラブを渡り歩き、10年に帰国後は川崎フロンターレ、北海道コンサドーレ札幌、SC相模原でプレーした。今年1月から関東サッカーリーグ1部の南葛SCに所属している。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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