[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「私はアスリート失格だった」 それでも、バレーボール・迫田さおりが輝けた理由

2012年ロンドン五輪の銅メダリストであり、2016年リオデジャネイロ五輪にも出場した女子バレーボール元日本代表の迫田さおりさん。約20年間のバレー人生を辿る連載第3回は最終回。日本代表として戦った五輪、そして、29歳で下した引退の決意について聞いた。

女子バレーボール元日本代表の迫田さおりさん【写真:編集部】
女子バレーボール元日本代表の迫田さおりさん【写真:編集部】

【連載最終回】ロンドン五輪銅メダル後に考えたことも…29歳で下した引退の決意

 2012年ロンドン五輪の銅メダリストであり、2016年リオデジャネイロ五輪にも出場した女子バレーボール元日本代表の迫田さおりさん。約20年間のバレー人生を辿る連載第3回は最終回。日本代表として戦った五輪、そして、29歳で下した引退の決意について聞いた。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

【連載第1回】春高バレーがどんな大会かも分からず… 元日本代表・迫田さおり、異端のバレー人生
【連載第2回】目は毎日腫れ、体はガリガリ 迫田さおりが今明かす、SOSを出せなかった“あの時”
【連載最終回】「私はアスリート失格だった」― それでも、元日本代表・迫田さおりが輝けた理由

 迫田が初めて全日本代表の登録メンバーとなったのは、2010年。世界選手権などにも出場していたが、日本のスポーツファンに存在を知らしめたのは、間違いなく2012年のロンドン五輪だろう。

 韓国との3位決定戦で初の先発出場。大会前、代表選手としては当落線上にいた彼女はこの日、23得点の活躍で、28年ぶりの女子バレーのメダル獲得に貢献した。

「あの試合、とにかくいいところにトスを上げてもらえた。私はただ“絶対に決める”という強い思いだけを持ち、手を振り下ろしただけ。オリンピックは本当に、選手、スタッフが一丸となり、必死の想いで戦った大会でした」

 実は、ロンドン五輪後、引退を考えていたという。

「なんとなく、オリンピック後は区切りがいいし、やめるのも一つの道かなと考えていました。その後、リーグ中に右肩を故障。これをきっかけに引退しよう、と思いました。でも引退を踏みとどまったのは、チームに必要とされたからです。ケガの様子を見ながら、試合に戻るタイミングや出場時間を綿密に計画し、本当に大事に私を使ってくれた。私の完全復帰を目指して取り組んでくれるトレーナーやスタッフの気持ちに応えたかった」

1 2 3

長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
UNIVAS
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集