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2人目の妊娠中に「怖くなりました」 一度は主婦になった馬淵優佳、訪れた現役復帰の転機

当初は飛込み競技は、大学で辞めると決めていた【写真:松橋晶子】
当初は飛込み競技は、大学で辞めると決めていた【写真:松橋晶子】

結婚、引退、出産…2人目の妊娠中に訪れた転機「自分自身が何者なのか」

 高校生になり、国際大会に出場するようになると、仲間と一緒に行く遠征が楽しみになった。日本代表として、日本の国旗がついたTシャツやリュックを身に着けて、海外に行くこと。他国の選手と交流を持つこと。いち高校生としてのその経験は、厳しい練習を上回るだけの刺激的な経験であり、競技を続ける心の支えになった。

 その後、日本代表選手の肩書きを引っ提げて、立命館大学へ進学。しかし、飛込み競技は、大学で辞めると決めていた。

「飛込み選手の多くは、大学を卒業したら普通に就職という道を歩んでいたので、私も大学卒業を競技の区切りとして考えていました。

 それに、なんとなく自分の選手としての限界も見えていて。幼い頃から、トップを目指してやっていたので、1番を取れないなら、競技をやる意味がない、3番4番の自分には価値がないという考え方になっていました。それなら、他の『何か』をやるために外に飛び出たかった」

 大学卒業後の5月、競泳の瀬戸大也(TEAM DAIYA)と入籍する。その2か月後に開催されたユニバーシアード大会を最後に、競技からスパッと引退。飛込み一色だった20年の生活が終わり、「新しい何か」を見つける人生を踏み出した。

 結婚後、早速、かねてから興味のあったアスリート食を学び、アスリートフードマイスターの資格を取得。翌年には長女を出産した。時々、声がかかる仕事を受けながら、妻として夫の競技生活をサポートし、母として子育てに勤しんだ。

「私の母も専業主婦で、父や私のために食事を作ったり、競技に集中できるよういろいろとサポートしてくれました。その姿を見て育ったので、母のようにサポート役に回ってみたい気持ちがありましたし、家庭に入ったら母のように家を守らなければいけない、女性はこうあるべきだという考えも強くありました」

「新たな何か」をやってみたいという気持ちも、日々の生活に追われ、蓋をした。そして、長女の子育てが少し落ち着いた頃、2人目を妊娠。すると一抹の怖さを感じた。「自分自身が何者なのかわらからなくなった」。馬淵は当時の自分をこう、表現する。

「このままでいたら、子育てにいっぱいいっぱいになり、自分のやりたいことや、何かやりたいという気持ちがなくなってしまう気がして、怖くなりました。

 そのとき、思ったんです。私はこれまでの人生、全部受け身だったなって。飛込みもやらされている気持ちで続けていたし、結婚後の仕事も、いただいたお仕事をこなす、という働き方だった。自分から何かを始めたい、仕事をしたいという想いが強くなりました」

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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