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GK嫌でサッカー退団→小5で体重75kg ラガーマン堀江翔太の目覚めは母の助言「うわっ、楽しいって」

2019年日本大会などW杯に4大会連続で出場した【写真:AP/アフロ】
2019年日本大会などW杯に4大会連続で出場した【写真:AP/アフロ】

島本高校でラグビーをやること以外は考えられなかった

《意志が固く、流されない。推薦の話にしてもバスケットで評価されても、まだラグビーでは評価されていない。だが堀江少年にとって周囲の評価は関係なく、大切にしたのは自分の思い。自分が一番のめり込めるのはラグビーであり、ラグビーがあってこそのバスケットだという信念を崩さなかった。高校の進学先も自分で調べて、大阪の公立で強豪校と知られた島本高校(昨年3月に閉校)に決める》

 本当はラグビーで何度も全国制覇している啓光学園(現在の常翔啓光学園)に行きたかったんです。でも両親から「できれば公立に行ってほしい」と言われて、だったら公立で強いところとなったら島本しかない、と。当時は不良の学生も多かったみたいで、担任の先生から「ほかの学校も考えてみたら」とも言われましたけど、吹田ラグビースクールの先輩が行っていることもあって、島本でラグビーをやること以外は考えられなかった。

 ただ、通学はしんどかったですね。大阪と京都の境にあって、自宅の最寄り駅から電車で行くと大阪市内に出て京都線に乗り換えるので1時間半くらいかかる。朝練で午前7時にはグラウンドにいなきゃいけないので、親には京都線の駅まで車でよく送ってもらっていました。朝早かったんで、ありがたかったですね。

 振り返ってみると、反抗期みたいなものもなかったですね。オカンとは一緒にスーパーマーケットに行って、荷物持ちをやらされていたくらい。大きな買い物袋を持って、マンションを上がっていくのは大変ですから。別に嫌でもないし、やって当然みたいな感覚はありましたね。

 島本での3年間は一言で片づけるならラグビー漬けでした。同級生は放課後、カラオケに行ったり、遊びに行ったりして楽しそうでした。別に何か文句を言われたわけでもないのに、“いつか見てろよ”って勝手にネガティブな感情をエネルギーに変えていったところはありました。でもあの3年間、ラグビーだけに没頭できたことが大きかったと思っています。

(中編へ続く)

■堀江 翔太 / Shota Horie

 1986年1月21日、大阪府吹田市生まれ。小5でラグビーの魅力にはまる。幼少期はサッカーに熱中し、中学ではバスケットボール部で活躍した才能をラグビーでも生かし、島本高、帝京大で実績を積み上げる。2008年に三洋電機ワイルドナイツ(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に加入。その後NZへの留学も経験するなかで日本代表デビューを果たすと、11年W杯に初出場。13年にはスーパーラグビー初参戦、16年にはサンウルブズの初代キャプテンに就任するなど、日本代表での活躍と並行して歴史にその名を刻んできた。W杯に4大会連続出場、22年にはリーグワン初代MVP受賞など数々の栄冠を手にし、24年に現役引退。現在はワイルドナイツのFWコーチを務めている。

(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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