GK嫌でサッカー退団→小5で体重75kg ラガーマン堀江翔太の目覚めは母の助言「うわっ、楽しいって」
多感な思春期を、トップアスリートたちはどんな思いを抱きながら駆け抜けたのか。キャリアを積み重ねた今だからこそ見える景色とは――。THE ANSWERが各競技を代表するアスリートたちの“原点”に迫るインタビュー連載「10代のジブンへ」。スポーツに勉強に一生懸命だった日々を振り返りながら、その後のキャリアにつながった経験、人生を変えた出会いや言葉などを思い起こし、今を生きる中高生アスリートにメッセージを送る。

連載「10代のジブンへ」第2回、堀江翔太(ラグビー)前編
多感な思春期を、トップアスリートたちはどんな思いを抱きながら駆け抜けたのか。キャリアを積み重ねた今だからこそ見える景色とは――。THE ANSWERが各競技を代表するアスリートたちの“原点”に迫るインタビュー連載「10代のジブンへ」。スポーツに勉強に一生懸命だった日々を振り返りながら、その後のキャリアにつながった経験、人生を変えた出会いや言葉などを思い起こし、今を生きる中高生アスリートにメッセージを送る。
今回はワールドカップ4大会連続出場、近年の日本ラグビー界が刻んできた数々の歴史的な舞台に立ってきた元日本代表フッカー(HO)の堀江翔太さんが登場する。フォワードの要ながら、ボールキャリーやパス、キックでも非凡な才能を発揮。唯一無二と言えるプレースタイルの背景には、サッカーやバスケットボールにも全力で打ち込んできた、幼少期から10代にかけての経験があった。(取材・文=二宮 寿朗)
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《日本ラグビーに、堀江翔太あり――。ワールドカップに2011年から4大会連続で出場し、日本代表通算76キャップを誇るラグビー界のレジェンド。日本人フォワードとして初めて南半球の世界最高峰プロリーグ「スーパーラグビー」の舞台を踏み、ジャパンラグビー「リーグワン」の初代MVPでもある。2023-24シーズン限りで現役引退し、現在は長年プレーしてきた埼玉パナソニックワイルドナイツでフォワードコーチを務める。
1986年1月、大阪府吹田市生まれ。元々はサッカー少年であり、ラグビーを始めたのは小5と遅く、それも中学時代はバスケットボールに熱中している。いろいろなスポーツをやった経験が“何でもできるフォワード”としてスペシャルワンになっていく。堀江さんが振り返る少年時代――》
小さい頃から体を動かすのは好きでしたね。幼稚園では器械体操をやっていて、小学生になるとYMCAでサッカーを始めました。ちょうどJリーグが開幕した頃でサッカーが盛り上がっていて、近くにガンバ大阪があるのに、当時強かったヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)のファンでした。フォワードをやっていましたけど、小4で学校の少年団に入ってからはゴールキーパーになったんです。初めての試合の時に“誰がキーパーやる?”となったら、みんなフォワードやりたいから誰も手を挙げない。仕方がないから僕が手を挙げてやることになって、相手のシュートをバンバン止めまくったんです。でも“その日限り”と思っていたのに、それからもキーパーだったので面白くなくなった。なんか肌に合わないと感じてスパッと辞めてしまったんです。
サッカーを辞めたら太り始めて小5で75キロありました。心配したオカンからラグビーを勧められて、ルールも何も分からないまま吹田ラグビースクールの体験会に行きました。体が大きいし、サッカーをやって走りも得意だったのですごく目立ったんですよ。スクールに入って1週間後くらいに試合に出たら、ボールを持ったら必ずゲインできるんですよね。太った体型でそれまであんまチヤホヤされなかった自分が注目されるとなると、気持ちいいもの。“うわっ、楽しい”って思えたのがラグビーでした。
《ラグビーにどハマりし、ずっとやっていきたいと思った。しかしラグビーに専念していくかと思いきや、堀江少年は並行してバスケットを始める。中学時代、府大会でベスト16に食い込むなど、ここでも注目を集める存在になる。体をぶつけるコンタクト技術、ボールを扱う技術がバスケットに活かされ、逆にラグビーに対しても相乗効果となる》
小学校を卒業する頃、高校ではラグビー1本でいきたいと考えていました。でも中学にラグビー部がなく、スクールは週末1回の練習だけなので運動量として全然足りない。実は友達2人に誘われて、小6からバスケットもやってはいたんです。だからバスケ部に入れてもらって週6でバスケ、週1ラグビーという生活になりました。
周りの動きを見てノールックパスとか空いたスペースを活かす感覚は、間違いなくバスケで培ったものです。身長も高かったので主にセンターをやって、チームの点数の半分くらいは僕が決めていましたね。
バスケ好きの集まりだったので休みの日でも公園に集まってやっていました。吹田の予選を勝ち抜いて大阪府大会でもまずまずでしたから、そこそこ強いチームだったとは思います。僕もマイケル・ジョーダンとかNBAのビデオを観て、ちょっとハマってはいました。
高校進学を考える時期になると、バスケットで私立高校から推薦の話もありました。「一緒にここの高校に行ってバスケットしようよ」と同級生からも誘われました。でも僕は「ごめん。俺、ラグビーするから」と断っていましたね。中3の終わりの頃はバスケの練習が終わった後、夜にラグビーの練習を一人でやっていました。ラグビー1本と決めたら揺らぐことはまったくなかったです。
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