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高校の部活で挫折したバスケ選手 環境に違和感、転校を決断し切り開いたプロへの道

HCの一言でようやく本気になれた大学バスケ生活

 なぜ手応えを感じなかったのか。それは自分自身の欠点に気付きながら、それを改善せずに見過ごしていた自分への甘さを理解していたからだ。

「楽しいことを優先している自分がいて、練習中におちゃらけたり、ふざけていたりしていました。他にもそういう選手がいて、人に流されて。今、レバンガ北海道にいる同期の松下(裕汰)はずっと試合に出ていたし、自主練習もすごくしていました。それを見て悔しいと思っているのに、それでも頑張ろうとはしていなかったんです」

 そんな小室の目を覚ましたのが、網野HCの一言だった。「自分のことだけを考えろ」。その一言に突き動かされた。

「人に流されて群れていると、バスケットボール選手としての本質的な成長ができないことに気付きました。自分のために頑張ることが結果的にチームの成長に繋がります。マイナスになることは切り捨てて、ラスト1年しかない大学生活をしっかりやり切ろうと。網野さんのあの一言は本当に大きかったです」

 それからは何事も自分の成長のために時間を使った。自主練習を重ね、日常生活でも丁寧に生きるようになった。

「人の努力を見ているだけの人間だったんですけど、同期の松下、角田(太輝/現・佐賀バルーナーズ)とか、彼らのことは本当に尊敬していました。だからこそ本当の意味で一緒に戦いたかった。そのためには、自分のやるべき練習を積み重ねるしかなかったです」

 基本となるシューティング練習から、課題であったドライブからのフィニッシュの練習など、チームから求められている部分と自分の強みの部分の両方を磨いた。ディフェンスの上手な後輩に歩み寄り、自らコツを学ぶこともあった。

「今まではそんなことがなかったんですけど、気付いたらそうなっていました。人からも変わったと言われましたし、プレーでも結果が出るようになりました。チームのみんなと成長している実感があって自信に繋がりました」

 4年生秋のリーグ戦では東海大学や他の強豪チームを相手に、練習していたドライブからの得点ができるようになった。そして再びプロの舞台を目標に立て直す。網野HCから「プロに行ってみないか?」と声をかけられたのも自信になった。

 そして迎えた昨年12月のインカレ。白鴎大学は必死のチームプレーで見事に優勝に辿り着いた。小室もチームに貢献するプレーを見せたが、本人は納得しなかった。

「優勝は嬉しかったですし、インカレはとても楽しかったです。でもそれだけじゃありません。決勝では5ファウルで退場になりましたし、自分の動きが全然できませんでした。緊張もしていましたね。それに比べて周りは自分の仕事を冷静にしっかりと遂行していて、『こいつらすげぇ』と思いました。もっと努力しないと、ここから先は通用しないと改めて感じました」

 日本一になっても満足がいかない。嬉しくも悔しい大学バスケが幕を閉じた。

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笠川 真一朗

1994年生まれ、奈良県出身。龍谷大平安高の野球部マネージャーとして2011年夏の甲子園に出場。立正大学でも野球部マネージャーを務めた。卒業後は百貨店勤務からお笑い芸人の道に進んだ異色のキャリアの持ち主。現在はスポーツライターとして活動し、野球を中心に取材の幅を広げている。

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