日本独自の「駅伝」はどう生まれた? なぜバトンではなく襷に…箱根の原点は「京都~東京516km」だった

襷は実は「手紙」の代わりだった
リレーだからバトンが必要だが、バトンを持ったまま長距離を走るのは難しい。そこで「襷(たすき)」が採用された。飛脚が駅と駅を結んで運ぶ「手紙」の代わりという意味もあった。関東組は紫、関西組は赤の襷をつないで、レースをした。現在、様々なドラマを生み出す襷は、歴史の最初から存在した。
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道路事情は今とは比べ物にならないほど悪く、橋のない川は渡し船が使われた。街灯もないため夜は沿道の人たちが松明を燃やし、ランナーを助けた。20キロ超の区間が多い中、三島から箱根の「山登り」だけは13キロ。当時から箱根の山はランナーにとっての難所だった。
関東組アンカーの金栗四三が不忍池で行われていた「東京奠都50周年博覧会」正面入り口のゴールに飛び込んだのは、29日午前11時34分。12年ストックホルム五輪のマラソンは途中棄権でゴールできなかった金栗は川崎から24キロの第23区を走り切り、多くの観衆の出迎えにあった。所要時間は41時間44分。関西組も1時間24分遅れてゴールした。江戸時代最速の「継飛脚」で丸3日。時代は違うが、いかに選手たちが健脚だったかが分かる。
大会は詳報した新聞の力もあって、大成功に終わった。競技としての面白さに加えて、選手たちが協力しながら「襷をつなぐ」ことが、多くの人の心に響いたのかもしれない。この3年後には金栗らの尽力によって箱根駅伝がスタート。東海道を走破するという壮大な大会が、その後数多く開催される駅伝の第一歩になった。
日本陸連は大会がスタートした4月27日を「駅伝誕生の日」とし、箱根駅伝は公式サイトで東海道駅伝を「原型」としている。日本陸連は2002年、スタートの三条大橋とゴールの不忍池に「駅伝発祥の碑」を建立。残念ながら表記は日本語だけだが、場所柄か海外からの観光客も足を止め「EKIDEN発祥の碑」を写真に収めている。
(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)
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