日本独自の「駅伝」はどう生まれた? なぜバトンではなく襷に…箱根の原点は「京都~東京516km」だった
「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第4回は「駅伝の歴史」をひも解く。

「THE ANSWER 陸上PLUS|COLUMN」 荻島弘一の陸上クロニクルVol.4
「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第4回は「駅伝の歴史」をひも解く。
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正月の風物詩として定着した箱根駅伝。毎年、大学生が箱根路で繰り広げるドラマに、日本中の視線が集まる。日本独自の「駅伝」は、今や海外で「EKIDEN」として行われるまでに成長した。その第一歩とされる大会が行われたのは、1917年(大正6年)。箱根駅伝が始まる3年前の大会は想像もつかないほど壮大なものだった。
4月27日午後2時「東海道駅伝徒歩競走」の号砲が鳴った。京都の三条大橋から東京・上野不忍池まで約516キロ。東京高等師範(現筑波大)、第一高校(現東大教養学部)、早大の学生らの「関東組」と長距離走が盛んだった愛知一中(現県立旭丘高)の生徒、関係者を中心とした「関西組」が、昼夜を問わずに23区を走破した。
大会を発案したのは、読売新聞社だった。東京に都(みやこ)が定められて半世紀を記念する「東京奠都(てんと)50年」の企画として、長距離走に目を付けたのだ。紙面上で出場者を募集し、出発日の新聞では選手各23人を顔写真付きで紹介。イベント性が高い一度きりのレースとはいえ、盛り上がりは相当なものだったという。
大会は当初「マラソン・リレー」の競技名がつけられていた。奠都50年に相応しい競技名がないかと考えられたのが「駅伝」。古代から道路に沿って一定の間隔で置かれた人や馬、馬車などのための「駅」をリレーして通信や物を運ぶ「伝馬制」から「駅伝」という競技名をつけた。
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