「自分が太ることを許さなかった」 宮原知子の意識を変えた疲労骨折、“太りたくない”自分との葛藤

体重への理解は「生涯かけて取り組む問題なんじゃないか」
競技を引退した今だからこそ、見えてきたことがたくさんある。プロとして活躍する今、やっと自分の体と向き合えるようになったと話す。
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「今は滑りながら『今日のジャンプの感じだと、殿筋が落ちているな』『軸がぶれるのは、コア(体幹)トレーニングが足りないのかな』など、体の変化を細やかに観察しながら練習するようになりました。
ただ、『体重は軽いほうがいい』という意識からは抜け切れていません。
今、体重は競技時代より5、6キロ重いのですが、ちゃんと動けてもいます。ですから、『この体重でもここまで跳べた。つまり以前の体重まで落とさなくても、跳べるということだよね』と少しずつですが理解できるようになってきました。これはもう、生涯かけて取り組む問題なんじゃないかと思っています」
宮原さんは現在、日本スケート連盟の理事も務めている。引退会見では「医学のほうにも関わっていきたい」と語っていたが、これからの人生をどう思い描いているのだろうか。
「実はプロスケーターとしてこんなに長くやっていくつもりはなく、スケートはスパッと辞めて大学に行こうかと思っていたんです。でも、ある時『やっぱりアイスショーって楽しい!』と思ったことを機に、海外のショーに出たいという気持ちが生まれ、スケートを続けています。
一方で、(医学を)学びたい気持ちも変わらずあり、人とは違う形でスケート界に貢献できる自分もいるのではないか、という思いもあります。
今は将来の目標に向かうというよりは、『これからどんな道に行くのかな?』と思いながら、その場、その場を生きているという感じです。その道はある日、突然決まるかもしれない。ですから、自分にできることを続けながら、自分だからできることを見つけていきたいですね」
競技者時代、「ミス・パーフェクト」と称され、10代から高い理想に向かって自らを極限まで追い込み続けた宮原さん。自身を縛り付けていた鎖を解き放ち、これからも自分にしか描けない軌跡を、氷の上に刻み続けていく。
■宮原 知子 / Satoko Miyahara
プロフィギュアスケーター、日本スケート連盟理事。1998年3月26日生まれ、京都府出身。4歳でスケートに出会い、5歳からスケート教室に通う。7歳でアメリカ・テキサス州ヒューストンから京都に戻り、濱田美栄コーチの元で指導を受ける。2013-14シーズンにシニアデビュー。2014~17年の全日本選手権で4連覇、世界選手権では15年に2位、18年に3位となり、18年平昌五輪で4位入賞を果たす。22年3月、競技引退を発表。同年4月、スターズオンアイス・カナダツアーに日本人で初めてメインキャストとして参加した。現在、プロフィギュアスケーターとして数々のアイスショーに出演するほか、解説者としても活躍する。
(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)
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