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「自分が太ることを許さなかった」 宮原知子の意識を変えた疲労骨折、“太りたくない”自分との葛藤

宮原さんの体への向き合い方が変わったきっかけはケガだったという【写真:松尾/アフロスポーツ】
宮原さんの体への向き合い方が変わったきっかけはケガだったという【写真:松尾/アフロスポーツ】

疲労骨折を告げられた時の感情は「しゃあないな」

 体への向き合い方が変わったのは、ケガがきっかけだった。

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 2017年1月、平昌冬季五輪のプレシーズンという極めて重要な時期に、宮原さんは左股関節を疲労骨折する。診断は全治4週間。担当したJISSの医師から、「安静にしないと治らない。練習もできない」と告げられた。

「真っ先に思ったのは、『しゃあないな』でした。骨折しちゃったものは取り返しがつかないし、『しゃあない!』と。

 それに、最終選考会となる全日本選手権まで約1年あった。当時は誰にも言わなかったのですが、『ここで1か月休んで痛みさえ取れれば、五輪に行けるんちゃう?』という謎の自信がありました。まったく根拠はないんですけど(笑)」

 治療を進める上で、医師からは「まずは骨に栄養を届けよう」と言われた。安静にしている間にしっかり栄養を摂り、体重を増やす。最初は体脂肪がつくが、その後、必ず骨に栄養が回るから、と説明を受けた。

「リハビリを続けながら指定されたエネルギー量の食事を摂っていましたが、量に関しては『こんなにたくさん食べなければいけないんだ!』と感じるほどのギャップはなかったんです。ただ、栄養を蓄えなければいけない時期だと頭では分かっていても、リハビリ中は滑れないしジャンプもできないので、心のどこかに『太りたくない』という自分がいました。

 特に私の場合、試合に向けて体を絞っていたので『(今後は)試合前でもこれだけ食べなければいけないの?』というマインドがずっとありました」

 それでもリハビリを機に、食事量と運動量のバランスを意識するようになった。ケガから2年ほど経った頃には、低かった骨密度も劇的に改善。「こんなに骨密度が上がった人を見たことがない」と、医師に驚かれるほどだったという。

「以前は動いて枯渇した分、食べてゼロに戻すだけだったのが、『動いてゼロになり、食べた分だけプラスになり、成長する』というシステムに、体が変わっていったのだと思います。

 また、私は初経がかなり遅く、疲労骨折をした当時は月経異常もありました。そこでJISSの婦人科のクリニックにも、定期的に通いました。骨密度は2年で改善しましたが、月経は引退してからやっと正常に戻ってきた感覚があります。現役時代は試合の演技のことばかりで体のことまで考えられませんでしたが、治るまでには本当に何年も時間がかかるんだと実感しています」

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。人物インタビュー、ヘルスケア、ダイエット、トレーニングの分野を軸に、雑誌、書籍等で編集・執筆を行う。担当書籍に『すごい股関節』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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