「森保さんも泣くじゃないですか」 サッカー→ハンド転向、異色48歳が世界へ持ち込む日本の誇り【東京デフリンピック】
聴覚障がい者の国際スポーツ大会「東京デフリンピック」(15日開幕)に出場するデフハンドボール男子日本代表の壮行試合と壮行会が3日、東京・北区の味の素ナショナルトレセンで行われた。高校ハンドの強豪、昭和学院(千葉)との壮行試合をした後、日本ハンドボール協会主催の壮行会を実施。元デフサッカー日本代表でチーム最年長のCP船越弘幸(48)も本番に向けて気持ちを新たにした。

東京デフリンピックが15日開幕、船越弘幸は3度目の舞台
聴覚障がい者の国際スポーツ大会「東京デフリンピック」(15日開幕)に出場するデフハンドボール男子日本代表の壮行試合と壮行会が3日、東京・北区の味の素ナショナルトレセンで行われた。高校ハンドの強豪、昭和学院(千葉)との壮行試合をした後、日本ハンドボール協会主催の壮行会を実施。元デフサッカー日本代表でチーム最年長のCP船越弘幸(48)も本番に向けて気持ちを新たにした。
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試合中、左ウイングの船越はサイドを走り続けた。ボールを奪うと全力で駆け上がり、奪われれば必死に戻る。プレーだけではなく、大きな声と全身のジェスチャーでチームを鼓舞。3回目のデフリンピックを前に「すごく楽しみです」と笑顔で話した。
1歳の時に聴力を失い、補聴器なしではほとんど声は聞き取れない。それでも小学生の時に始めたサッカーで活躍し、高2の時に「カズさんに憧れて」ブラジルに渡った。各地のプロクラブを渡り歩いてプロ契約寸前までいったが難航。20歳直前に帰国し、日本ではじまったばかりのデフサッカーに出会った。
黎明期の日本代表で活躍し、日本がデフリンピック初出場した2005年メルボルン大会と続く09年台北大会に出場。その後はフットサルに転向して日本代表結成に加わり、アジア太平洋選手権やW杯でチームを牽引するなど競技の発展に尽くした。
昨年3月にトルコで行われた冬季デフリンピックでフットサルが採用されたが、ケガもあって出場することはなく代表からも引退。そんな時に知ったのがデフリンピック東京大会を控えて初めて結成されたデフハンドボール日本代表のトライアウトだった。
ハンドボールは「まったく知らなかった」が、コートの広さもゴールもフットサルと同じ。「足でなく手で扱うのだから簡単だろう」と軽い気持ちで8月にトライアウトを受けた。パスもシュートも想像以上に難しかったが「身体能力を評価されたのか」合格。「選ばれたからには本気でやらないといけない」と覚悟を決めた。
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