柔道の「柔よく剛を制す」は本当にあったのか 「言い訳だったのでは」と思い始めたかつての日本と世界、近年実った「剛」のカタチ
「柔よく剛を制す」。最近よく耳にする。4月20日の全日本女子柔道選手権、同29日に行われた全日本柔道選手権、体重無差別で日本一を決める大会に軽量級選手たちが出場し、活躍した。パリ五輪女子48キロ級金メダリストの角田夏実、同男子66キロ級で五輪連覇した阿部一二三ら……。人気選手たちの挑戦で、柔道の「神髄」でもある「柔よく…」にスポットライトが当たったのだ。

無差別の戦いでスポットが当たった軽量級の柔道家たち
「柔よく剛を制す」。最近よく耳にする。4月20日の全日本女子柔道選手権、同29日に行われた全日本柔道選手権、体重無差別で日本一を決める大会に軽量級選手たちが出場し、活躍した。パリ五輪女子48キロ級金メダリストの角田夏実、同男子66キロ級で五輪連覇した阿部一二三ら……。人気選手たちの挑戦で、柔道の「神髄」でもある「柔よく…」にスポットライトが当たったのだ。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
女子では角田は2勝をあげる健闘をみせた。57キロ級の白金未桜は大型選手を次々と破って史上最軽量で決勝進出。優勝は逃したものの、大会を沸かせた。男子の阿部は1勝して2回戦で敗退したが、スタンドから大歓声を浴び、パリ五輪71キロ級銅メダルの橋本壮一は3回戦まで勝ち進んで柔道の魅力を存分に見せた。
パリ五輪男子60キロ級銅メダルの永山竜樹は、1回戦で160キロの選手の圧力に屈し「死を覚悟した」とコメントした。体格差のある選手と組み合うのは恐怖だろうし、ケガのリスクも大きい。それでも、永山は試合後に自身のSNSに「また挑戦します」と投稿。「死を覚悟」してまで挑戦したいのが「全日本選手権」の魅力なのだ。
ボクシングやレスリングなど他の階級制五輪競技には「無差別」という考えはない。ケガなどのリスクを冒してまで「重量級選手に挑戦したい」という軽量級選手も皆無に近いはずだ。ところが、柔道は違う。周囲の理解は得られなくても柔道選手、柔道家にとって「無差別」は究極の目標といってもいい。
今は階級制で争うのが当たり前の柔道だが、1964年の東京大会で五輪競技になるまで階級制はなかった。国内試合に体重別がなかったのはもちろん、世界選手権でも東京五輪前の61年大会までは無差別だけが行われていた。体格を問わない「武道」から五輪の「スポーツ」になるため、他競技と同じように「階級制」が取り入れられた。
84年ロサンゼルス大会までは五輪でも「無差別級」が実施されたものの(最後の金メダリストは山下泰裕)、88年ソウル大会から廃止。国際柔道連盟(IJF)は「柔道」を守るために無差別の存続を求めたが、国際オリンピック委員会(IOC)に却下されたという。
もっとも、日本には創始者でもある嘉納治五郎時代からの「柔よく剛を制す」の考えが生き続けている。高校選手権では2005年まで男子個人戦は無差別だけだったし、高校や大学、実業団の団体戦は今も体重無差別。選手層の薄い高校などでは体重差のある対戦は普通にあるし、軽量級対重量級、体重差が倍といった試合も珍しくはない。
国際試合で活躍するトップ選手になると、なかなか体重無差別の試合に出場する機会はないが、それでも根底には「無差別で戦いたい」という思いが残るのだろう。角田や阿部が「憧れの舞台」といい、永山が「死を覚悟」してまで出場を望む理由も分かる。