柔道の「柔よく剛を制す」は本当にあったのか 「言い訳だったのでは」と思い始めたかつての日本と世界、近年実った「剛」のカタチ
「柔よく剛を制す」の言葉にはロマンがあるが…
「柔能制剛(柔よく剛を制す)」は、中国の兵法書「三略」にある言葉。小さい者、力の弱い者でも、大きな者、力の強い者を制すことができるという意味で、柔道の考え方でもある。そして、この言葉には続きがある。「剛よく柔を断つ」。身もふたもないようにも聞こえるが、これも真実なのだ。
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嘉納治五郎は「柔剛一体」と説いた。「柔」だけではなく「剛」も重要ということ。「三略」にも同様の記述がある。「柔よく…」ばかりだと「柔」がよくて「剛」が悪いようにも思えるが、実はどちらも必要で、どちらかが欠けても勝てない。
角田は自らの柔道を「剛」と話したし、阿部も抜群の「剛」を持っている。無差別の戦いだから軽量級は「柔」になるが、バランスよく両者を持っていたから五輪で金メダルを獲得できた。重量級でも全日本の頂点に立つような選手は「柔」も素晴らしい。「柔よく…」を聞きながら改めて「剛」の大切さにも思いを馳せた。
以前の日本スポーツ界は、この言葉を多用していたように思う。欧米に比べて日本の選手は「剛」で劣った。五輪後など敗因として必ずあがったのは「体格差」や「パワーの差」。実際にその差を感じることは多かったし「だから勝てない」という言葉にもある程度は説得力があったように思う。
もっとも、今振り返れば「言い訳だったのでは」とも思う。近年は日本人の体格や体力が向上。ドジャースの大谷翔平の例を出すまでもなく、欧米人に見劣りしない、時には凌駕するような体格の選手も珍しくなくなってきた。
スポーツ界が強化として真剣に「体格アップ」「パワーアップ」に努め始めたことも大きい。体格に恵まれた選手を発掘し、本気でパワーアップにも取り組んだ。「パワーの差」を言い訳にせずに勝負に挑んだことが、近年の五輪でのメダルラッシュ、日本スポーツの躍進の一端になったと言っても過言ではないだろう。
「柔よく剛を制す」という言葉にはロマンがある。ただ、ロマンだけでは勝てない現実もある。角田や白金、阿部や永山、橋本ら全日本選手権で重量級に挑んだ小柄な選手たちの健闘に拍手を送りながらも「柔よく…」が死語になりつつあるのも感じた。
(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)