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記者が知る「ゴローちゃん」の素顔 “早稲田の悪ガキ”が国民的ヒーローになるまで

五郎丸の成長を感じた2つの出来事

 サイズも含めた恵まれた才能と、まだまだ残る幼さを感じたゴローちゃんだが、成長したなと感じたことが2度あった。1つは、おそらく2011年のことだった。

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 ヤマハ発動機本社は10年のラグビー部強化縮小から、ようやく再強化へと舵を切ったシーズンだったが、ゴローちゃん自身も1シーズン前に大きな決断を下してプレーしていた。強化縮小に伴い、チームはプロ選手との契約更新を行わない方針を決定。有望なプロ選手が他チームに流出する中で、ゴローちゃんは契約をプロから社員に替えてチーム残留を選んだ。

 この決定は、当時監督に就任した恩師・清宮さんへの恩義も大きかったのだが、社員としてプレーをしていたゴローちゃんと、試合後に話すと、こんなことを話してくれた。

「同じ職場の人たちが、わざわざ試合を応援しに来てくれているんです。せっかくの土日なのにね。もちろんプロとしてプレーしていても、そういう社員の方がたくさんいるのは知っていました。でも、スタンドで同じ職場の人の顔を見ると、本当にありがたく、嬉しいですね。早稲田時代も本当に多くのファンの方に応援して頂いた。でも、いつも近くで顔を合わせている人たちがスタンドに来てくれているのは力になるし、いいもんですね」

 おそらく「人気」という面では、早大時代には及ばないヤマハでのプレーだったが、ゴローちゃんが応援してくれる人たちにありがたさを感じることができたのは、物事の見方、考え方を知るための視野を大きく広げることになったはずだ。

 もう1つの成長を感じたのは2014年から15年にかけての代表合宿のことだった。

 宮崎でのうんざりするようなハードワークの連日。我々の取材場所だったグラウンドからホテルまでの回廊のような通路で、ゴローちゃんの口からは、今の状態で本当にジャパンはいいのか、エディー(ジョーンズ・ヘッドコーチ)の主張ばかりでいいのかという、彼なりの思いや危機感を何度も聴いた。多くはいわばオフレコでの話なので、ここでは書かないが、その言葉からは、“夜のクラブ活動”で大目玉を食らった悪ガキから成長した、20代後半の経験値を持ったベテランプレーヤーとしての洞察力と、組織のあるべき形についての思いにあふれていた。

 2015年からの狂騒については、もうお馴染みだろう。お茶の間のアイドルと化したゴローちゃんについて、書きたいものはあまりない。

 しかし、このコロナ禍で、社会もラグビーも止まってしまうという現実の中で思い出されるのは、ゴローちゃんが口酸っぱく話していた「日本でラグビーを文化にしたい」という言葉だ。

 これについては、過去にも指摘してきたことだが、W杯日本大会が日本のラグビー界にもたらした数多の恩恵は明らかな一方で、ラグビーがどこまで日本の大地に文化として根付いているかを、ゴローちゃんの言葉はいつも考えさせる。

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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