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「ちょっと面白い選手をとったよ」から19年 大野均はいかにして“鉄人”になったのか

大野は2007年から3大会連続でW杯に出場した【写真:Getty Images】
大野は2007年から3大会連続でW杯に出場した【写真:Getty Images】

「試合中に(相手選手を)殴ってこいと言われれば、本当に殴りにいくタイプ」

「愚直」と「ひたむき」――。

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 キックオフからひたむきに楕円球を追い、ノーサイドまで愚直にモール・ラックに突っ込み続ける。

 30年前のラグビーは「頭を使え」と言われると、相手選手に頭突きを食らわすという冗談が“あるある”の時代だった。だが、プロ化とともに急速に進化を続けるこの競技は、今は頭の内部を使えなければトップ選手になれない。例えば、選手は日ごろから80分の試合の中で何分間トップスピードで走れ、その中で何回加速できたかなどをGPSでデータ化して、スピードアップに取り組んでいる。感覚ではなく明確な数字を計測して、めざす数値に到達するために必要な具体的なメニューに取り組むための分析力が、個々の選手にも求められる時代を迎えている。

 しかし、そんな時代になっても“馬鹿になれる選手”が欠かせないのが、このスポーツの魅力でもある。一見効率の悪い無駄走りや、密集戦には必ず頭を突っ込むことが、試合で相手よりも優位に立つためには欠かせない。この合理性を否定するかのような領域で、大野は存在感を見せ続けてきた。そんな大野を、東芝に誘った当時の薫田監督は、いたずらっぽくこう表現している。

「試合中に(相手選手を)殴ってこいと言われれば、本当に殴りにいくタイプ」

 大野自身も、自分の持ち味をしっかり認識していたことは、引退会見でも語られている。

「大学からラグビーを始めてパスもキックも下手な中で、どうやってこのチームに貢献したいか、そう考えた時に自分の中ではシンプルでしたね。もしパスやキックが上手だったら、そこが選択肢に入って、プレーしている時に何をするか迷ってしまって、ここまで長く現役を続けることが出来なかったかも知れない」

 負の要素を。しっかりとプラス要素に変えて自分自身のブランディングしているところが、さきに挙げた“馬鹿になれる”と表裏を成す大野の持ち味でもある。

 実家は福島県郡山市で牧畜や農業を営んできた。冬の寒さは厳しく、自然や天候に思うように作業ができない時もある。我慢や忍耐が必要だ。そんな生活が、大野のひたむきで愚直な生きざまにも反映されている。

 例えボールを持つ回数は1試合に1、2回でも、大野は密集から立ち上がると再び次の密集戦へと走り、腰を落として頭を密集へと突っ込む。この頭を突っ込ませることが出来るか否かが、プレーヤーとしての大きな分水嶺だ。わずか数10センチの高低差で頭を入れられるか、入れずに体だけを当てることになるかが、その密集を押し勝ち、相手に有効なプレッシャーをかけることが出来るかに直結するからだ。

 この繰り返しを80分黙々と続けるためには、鋼のような体と同時に強靭な精神力が不可欠だ。ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代代表ヘッドコーチ(HC)から揺るぎない信頼を勝ち取ってきたのも、他の選手は及ばない心と身の資質があったからだ。ジェイミー・ジョセフHCも、大野が怪我で代表合宿を離脱した2017年までは代表復帰を模索していた。

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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