明大ラグビー復活日本一の真実 改革・再建5年、「緩くなった」と言われ…エリート集団はなぜ変わった

6月末という異例のスタート まず着手したのは「対話」
明大ラグビーの監督任期は、原則として2年を一期として、基本2期だが、就任に関しては神鳥の勤務するリコーの理解が大きかった。
「会社には、もう感謝しかないですね。自分の中で『やりたい』と決めて直ぐに、リコーの監督を終えた後のキャリアについて相談させていただいていた人事担当の執行役員に相談したんです。チャレンジ出来るならそうしたいと話すと、自分だけでは決められないと、社長に直接相談することになった。そこで社長から、そんな名誉な仕事はない、行って来いと二つ返事で気持ちよく送り出していただいたんです」
リコーは、ラグビーでは東芝や神戸製鋼のような黄金時代を長く築いてきたチームではないが、1953年の創部から本社上層部、社員がチームを応援し続けてきた長き伝統がある。懐の深いラグビーへの理解、愛着が神鳥監督、そして明大ラグビー部の挑戦を後押しした。
では、就任当時の“現場”はどうだったのか。当時の国内最強リーグ「トップリーグ」を戦ってきた神鳥監督は、就任当初に母校のラグビー部を見てこんな印象を抱いていたという。
「最初に感じたのは、レベルの高い選手はトップリーグの選手と変わらないなという印象でした。飯沼蓮(21年度卒、現浦安D-Rocks、SH)や山本嶺二郎(23年度卒、現BR東京、LO)らは、そんなに遜色ないと思いました。でも一番驚いたのは、90人もの部員の中で能力の差が想定以上にあったことでしたね。それはラグビーの技術もですが、コミュニケーションにおいてです。大学生の4年間って、人がすごく成長する。そんなタイミングなんだというのを改めて実感しました。なので、確かに大変は大変でした。でも、指導を始めて面白そうだなとは思いましたね」
実際に世田谷区・八幡山の明大グラウンドに立ったのは、リコーのシーズンが終わった後。6月末という異例のスタートとなったが、まず着手したのは「対話」だった。
「最初はいろいろ話を聞きましたね。全員と面談して、何か問題はあるのか、自分がどうなりたいのか、足りてないこと、長所短所を聞いたりしました。シーズン途中からチームに入ったこともあって、部員たちがそれぞれどういうふうに考えているのかを知りたくて、ずっと面談していたんです。1年目が一番長かったですね。一人ひとりなので個々には10分、15分ですけれど、選手によっては30分くらい話しました。全員だと3週間4週間くらいはかかりましたね」
このような面談は、日本代表を率いるエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチを始めリーグワン、他の大学指導者も取り入れているが、神鳥監督も就任から毎シーズン、しかも春秋2回の頻度で続けてきた。
「1対1で話を聞くことで、この選手しっかりしているなとか、こういう性格なんだと、自分なりに把握出来ました。その時々でテーマを変えたりしましたが、簡単にいえば大学の前期、後期で成績表持って来させて、それを見ながら最近どうなんだという話から始めましたね。選手だけではなく、チームスタッフ全員と面談していました」
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