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鉄拳制裁におびえて25歳で引退…元バレー代表・益子直美「怒らない指導」で続ける日本スポーツ界改革

昭和から平成にかけて、日本のスポーツ界では理不尽な暴力や暴言が横行していた。その時代にバレーボール女子日本代表のエースとなり、アイドル的人気だった益子直美氏は10年以上、「怒らない指導」の普及に努めている。現在は、日本スポーツ協会副会長及び日本スポーツ少年団本部長の益子氏が、「怒る指導」がもたらす弊害などを自身の経験を基に語った。(取材・文=柳田 通斉)

日本スポーツ協会副会長及び日本スポーツ少年団本部長の益子直美氏【写真:井上学】
日本スポーツ協会副会長及び日本スポーツ少年団本部長の益子直美氏【写真:井上学】

怒られ続け…自信がなかった現役時代

 昭和から平成にかけて、日本のスポーツ界では理不尽な暴力や暴言が横行していた。その時代にバレーボール女子日本代表のエースとなり、アイドル的人気だった益子直美氏は10年以上、「怒らない指導」の普及に努めている。現在は、日本スポーツ協会副会長及び日本スポーツ少年団本部長の益子氏が、「怒る指導」がもたらす弊害などを自身の経験を基に語った。(取材・文=柳田 通斉)

 益子氏は、一般社団法人「監督が怒ってはいけない大会」の代表理事として、子どもたちが心からスポーツを楽しめる環境作りに動いている。このたびは、日本アンガーマネジメント協会が発表した「感情を扱える社会宣言」におけるスポーツ領域アンバサダーに就任。「怒らない指導」にこだわる理由は、華やかな経歴の裏にあった。

 益子氏がバレーボールを始めたのは、地元の東京・葛飾区立金町中に入学した時だった。アニメ「アタックNo.1」に憧れての入部。待ち受けていたのは、昭和特有のスパルタ指導だった。1年時は専ら球拾いだったが、高身長を買われて秋にレギュラーになると、鉄拳制裁を受けるようになった。

「初めてのスパイク練習の時、グーで打って怒られました(笑)。褒められることはないですし、『いつ殴られるのか』とビクビクしていました。休みは年に3日ぐらいでした」

 チームは区大会で優勝するも、都大会では早々に敗退するレベル。だが、益子氏の能力は高く、3年になる前に東京都の強化合宿メンバーに選出された。以降は関東選抜、全国選抜に入り、海外遠征メンバーにも名を連ねたが、益子氏はそれを辞退した。

「怒られてばかりで、自信がなかったからです。全国大会にも出たことがないのに、私がやったことのないクイックやコース打ちができる人と一緒にやる状況だったので。それで、中学の監督に『バレーを辞めます』と伝えました。親からも止められなかったので、本当に退部しました」

 それでも、当時最強の八王子実践をはじめ、全国の強豪高校からのスカウトが相次いだ。

「全部、断りました。それだけ、嫌になっていたので」

 だが、高校受験の勉強もつらい。その最中、バレー部の同期から「ワールドカップを見に行こう」と誘われて会場へ。席は最上階だったが、場内で遭遇した地元バレー関係者から「これで見て来い」とチケットを手渡され、コートサイド特等席での観戦となった。それが復帰のきっかけになった。

「目の前に大好きな男子の中国人選手がいて、握手しちゃったんですよ。それで『エースの手の平って、こんなに厚いんだ』って感動して、翌日から練習に戻りました(笑)。『あれは、私を戻すための策略だったのかな』と思っていますが」

 進学先は地元の共栄学園。同校は八王子実践には及ばずも、全国大会の常連だった。

「中学の比じゃないぐらい毎日殴られました。自宅が近いので、いつでも逃げられる環境でしたが、『もう辞められない。3年間、殴られても仕方ない』という覚悟でいました。なので、どうやって怒られないようにするか。そればかりを考えていました」

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