「おそらく、ボコボコにやられます」 サッカー部員わずか14人…偏差値78の難関校、逆境で模索する“文武両道”への道

1年生センターバックが最終ラインを牽引
1、2年生が主体のチームへ代替わりしておよそ3か月、森田監督は「ショートパス主体のチームを」と理想を掲げるが、大東大一戦は守勢の展開で理想とは程遠い内容だった。前半36分にミスから失点を許すと、終了間際にはコーナーキックの流れから2失点目を喫し、防戦になった後半にも1失点を重ねた。
「守備のところは正直、何もやっていなかったので『よう、こんだけ守ったな』と思って見ていました。あれ(ミス)がなかったら、もうちょっと耐えられたかな」。指揮官も予想外の粘りを見せたディフェンス陣。5バックの中央では、坂次葉太(1年)が声を張り上げてチームを鼓舞した。
「サボるな」「カバーしろ」
頭1つ分ほど差がある長身ストライカーにも臆さない。1年生でも堂々と振る舞う姿には訳があった。
「中学まではクラブチームでサッカーをやっていたんです。蹴球部はメンバーが少なくて、高校からサッカーを始めた人もいる。だから自分が引っ張っていかなきゃという思いで今日はやっていました」
サッカーとの出会いは幼稚園の頃。親の勧めでサッカー教室へ通ったことがきっかけで「楽しいからずっと続けたい」と、思いを強くした。附属小時代は地元の街クラブ、そして、中学に上がると強豪街クラブの三菱養和ジュニアユースへ進んだ。
日本代表の中村敬斗ら多くのプロ選手を輩出した名門として知られ、セレクションではわずか数十名しか受からない狭き門をくぐり抜けた。新たな環境で切磋琢磨し、東京都のトレセンメンバーにも選出されたが、厳しい現実を突きつけられた。
「養和では全然試合に出られなかったんです、ほとんどベンチで。なのに、1年の冬に都トレに選ばれて。よく分からない立ち位置だったんですけど、そんな立場だったから周りは上手いじゃないですか。そこからサッカーで高いレベルを目指そうという意識が少しずつ薄れてしまって……」
高校進学時、三菱養和ユースへの昇格は叶わず、蹴球部でサッカーを続けようと決めた。中学時代のようなハイレベルな環境はない。当初は「戸惑いが若干あった」と笑うが「でも、それも覚悟した上で決めたので」と言い切る。
蹴球部の活動は週4日。「高校は勉強中心」と考え、塾にも通う日々を送る。将来の夢は弁護士になること。「親の職業なんですが憧れているんですよね」と明かした坂次には、蹴球部での明確な目標もある。
「学習院(高等科)との定期戦があるんですよ。『院戦』っていうんですが、わりと大きなイベントで学校全体が注目しているんです。学習院も結構強くて、なかなか勝てないので3年間のうちにそこで勝ちたいです」
敗戦で落胆したイレブンだったが、坂次の表情にはようやく笑顔が覗いた。
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