「スカウト0人でしたから」超無名の国立大生がどうやってプロ野球へ? 道を開いた他種目経験と“テスト対策”

バドミントン部とラグビー部…他種目経験はどう生きた?
バドミントンのシャトル打ちは、野球の練習に取り入れられることもある動作だ。「肘の抜き方とか手の走らせ方みたいなのが、なんだかピンと来た感じで」。さらにラグビー部では、体重67キロしかなかった体を大きくすべく、筋トレに励んだ。気が付くと「あれ、肘痛くないぞ」と感じるようになった。さらにウェートリフティングの講師と知り合い「もう、爆発的に伸びていきました」。当時の関口さんの悩みを解決する方法はただ1点。高校時代に全く縁のなかったフィジカルの強化だった。
「すべてを解決してくれましたね。最終的に体重は90キロくらいまで増えたんです、そうしたら信じられないくらい打球は飛ぶし、だからと言ってスピードも落ちない」。約20年前、野球におけるフィジカルトレーニングの重要性は今ほど認められていなかったが、その効果を目の当たりにしたことで関口さんの野球人生は変わった。「すべての野球観のベースになりました。痛みも消え、パフォーマンスも上がり、これならやれると」。
ただ、滋賀大学の野球部は京滋大学リーグの1部と2部を行ったり来たり。注目される環境にない中で、プロに行けると思ったのは3年の夏だ。関西の大学5リーグの対抗戦が行われ、関口さんもリーグ選抜に選ばれた。ドラフト候補と言われる投手と対戦し、長打も放った。当時、希望枠で争奪戦が繰り広げられていた大隣憲司(近大―ソフトバンク)と同じ舞台に立ち「プロも、頑張れば手が届くのではないか」と思い始めた。
ここからは生活のすべてを野球に向けた。それまでのアルバイトは、パチンコ店で不正に球を出そうとする「ゴト師」を摘発する警備職だったのを、スポーツジムのインストラクターに変えた。仕事の合間に器具を使えたからだ。様々な人の動きを見ながら試行錯誤した。さらに3年までに卒業に必要な単位を取り終え、4年の春シーズンを終えたところで野球部を退部した。アメリカの大学生が夏休みの間参加する「サマーリーグ」に参加するためだ。近年でこそ佐々木麟太郎内野手(花巻東高―米スタンフォード大)の参加などで日本でも知られ始めたが、当時は全く情報がなかった。
「アメリカに遠征の経験を積みに行きたかったんです。日本の大学では週2、3試合しかない。もし30日間連続で戦ったら体はどうなるのかと」。インターネットを検索しまくり、日本で参加をあっせんしている人物を見つけた。さらに費用として、100万円の前借りを親に申し出ると、学費の比較的安い国立大学で学んでいたこともありOKが出た。
カリフォルニア州にあったモントレー・ベイソックスに加わり2か月。60日間で56試合を戦った。「めちゃくちゃしんどかったですね。向こうの土はとにかく硬くて……。やっぱり、いろいろスパイクを変えたりもしないとダメだ、みたいな学びにはなりました」。さらに日本で鍛え上げたはずのフィジカルも、まだまだ足りなかった。
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