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大学ラグビー関東王者が歌舞伎町で朝からゴミ拾い 異色の活動のウラに…セオリーに囚われぬ大東大黄金期復活への道

ゴミ拾いの“仕掛け人”となった就任3シーズン目の酒井宏之監督
ゴミ拾いの“仕掛け人”となった就任3シーズン目の酒井宏之監督

ピッチ外でも“魅力”を発散してきた大東大ラグビー部

 ラグビー自体もインパクトを残してきた当時の大東大だったが、ピッチ外でも“魅力”を発散していた。新聞記者時代の遠い記憶だが、ラグビー担当になった1995年から東松山市にある同大の合宿所を何度も訪れたが、伝統校のような厳しい上下関係がない選手たちの姿は新鮮な驚きだった。日本式の古い民家を改装したような当時の合宿所は、失礼ながら他大学と比べて立派とはいえないものだった。部員の居室も襖のような引き戸式の入り口という代物だったが、練習後の自由時間に万年床の部屋で取材をしていると、マネジャーが「風邪ひくなよ」と各部屋を回って声をかけるような、まるで共同生活をするファミリーのような独特の距離感、人懐こさがあった。

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「α世代」とも呼ばれる新たに入部してくる今の世代は、価値観も当時とは大きく変わったはずだが、酒井監督が思い浮かべる大東大ラグビー部の姿には、恩師が築いたチーム像が重なり合う。指揮官自ら「予定より1年時早かった」と苦笑する就任2年目でのリーグ戦優勝はピッチ内での大きな収穫になったが、ラグビー以外では今回の清掃活動も含めて社会との接点を広げようとしている。そして部員たちに対しても、大東大らしい型にはまらない自由さで向き合おうとしている。

「例えばですが、部員が金髪とかドレッドへアーでもオーケーにしようかなということも考えているところです。伝統のあるチームって、それは出来ないですよね。でも大東大はやってもいいんじゃないか。でもその代わりに、身なりはすこしチャラくても生活面はしっかりしていて、体もバキバキに鍛え上げる。外見は『どうかな?』と思われても、しっかり挨拶も出来る。そんなチームになれば面白いかなと。でも、そのためには強くなければいけないですよね。結果があって初めて認められる。批判されることもあるかも知れないけれど、重要なのは選手がルールを守って、しっかりやれることですから」

 選手を型にはめず、自由奔放さの中でも、実は合理的でルールから外れたことはしない――こんなスタイルは、まさに40年前に恩師が作り上げたチームと同じ「大東スタイル」のリニューアル版に他ならない。冒頭に紹介した清掃活動に加えて、7月には福島・いわき市の病院と連携しての普及活動も計画しているが、未だに続く東日本大震災からの復興も兼ねた取り組みが必要だという現地からの切実な声を聞いてのことだという。地元の東松山市周辺でも、子供たちを集めたアカデミーの設立などラグビーを通じた社会還元、普及活動を模索するなど、指揮官の頭の中には、より魅力のある大東ラグビー再構築のプランが詰まっている。

 再構築とはいえ、令和の大学ラグビーには鏡監督時代とは異なるチーム運営の難しさもある。1980年代の大学ラグビー部は、監督1人の手腕やリーダーシップだけでチーム強化、運営が出来ていた。だが、2000年代以降をみると、先に触れた活動費の高騰や、少子化、100人前後という部員を抱える中で一握りの学生による不祥事も多くのラグビー部で後を絶たない。以前はチーム強化だけが監督の仕事だったが、そこに組織運営のマネジメント力も求められるようになったことで、現場の強化=監督・コーチに加えてチーム運営や予算、選手の管理などを担うポストを設けているチームもある。そこに、今回の広告スポンサー解禁で、「営業」という仕事まで担うことになる。このエリアでも監督以外の人材が必要だとも思えるが、酒井監督はこう指摘する。

「大学ラグビー部の監督の仕事って何なのと考えることもありますが、今は僕がやらないといけないと思ってますね。人は限られているし、もし行く行く新しい役職が必要になると、そこにまたお金がかかってくる。それに、自分が(スポンサー契約までの経緯、内容を)知らないとだめですからね。自分で様々な関係も作った上で、誰かいい人材が出てきてくれればいいけれど、現時点では誰かを入れても難しいなと感じています」

 前例のない大学ラグビーでのジャージー広告のスポンサー収入。チームも、解禁した協会サイドも手探りの中でのスタートではあるが、先ず監督という立場で現状を把握して、スポンサーという新たなステークホルダーとの関係性を自ら築いていくことが重要だと考えている。

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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