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中3平均身長166cmで世界に突進した田中史朗 武器はタックル、W杯で奇跡呼んだ恐怖を超越した勇気

引退後に描くジャイアントな夢「将来的には日本代表のHCを」

 プレー以外でも、日本代表の強化を後押ししてきた。すでに昭和の根性論は遺物となっていた時代だが、その中でも練習中にもチーム、選手への苦言を敢えて口に出していた。口癖のようにいつも話していたのは「コミュニケーション」。1つの些細な練習メニューでも、選手間でコミュニケ―ションが出来ていたのか、どういう意図でプレーしたのか……。グラウンドでは、いつもフミの厳しい声が聞こえていた。2014年のカナダ遠征では、テストマッチ間近の練習で、プレーを止めて「こんな準備で勝てるのか」と選手に苦言を呈していたが、そんな“嫌われ役”も日本代表が強くなるためには厭わなかった。

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 引退会見では多くの質問がされる中で、これからの代表選手たちに何か伝えたいことがあるかを聞くと、フミらしい厳しさを込めたエールが返ってきた。

「シンプルに、世界はそんなに甘くないと伝えたいですね。本当に厳しい世界ですし、日本だけが努力して、しんどいことしているわけではない。やはり、いろいろな人と繋がりながら、世界の情報を得ながら、日本のラグビーを築いていかないといけないので、そういう部分ではもっともっと人とのコミュニケーションを、小さい頃から取れるようにしてほしいですし、日本全体としても英語を学びながら世界にチャレンジする意識を持ってもらいたい」

 桜のジャージーの“小さな巨人”と呼ばれてもいい現役人生にピリオドを打つが、9番のジャージーを脱いだ後はジャイアントな夢も思い描く。

「今後ですがNECグリーンロケッツ東葛のアカデミーのコーチとして普及活動を続けていく予定です。幸運なことにエディー・ジョーンズ、ジェイミー・ジョセフ、トニー・ブラウンという素晴らしいコーチが周りにいるので、彼らからコーチングを学び、将来的には日本代表のHCをやりたいと考えています」

 直近の役割としては、現役プレーヤーに近い立ち位置で子供たちに刺激を与えながら、その先に、強い関係性を築いた歴代代表指導者らと継続的な関係を持ちながら、再び世界に挑んでいくという。

「やはり選手として日本代表で試合に勝つことの喜び、日本の皆さんが喜んでいただけることを感じたので、それをもう一度味わいたい。プレーヤーとしてずっと継続することは出来ないので、次はコーチになって、そういう部分を選手に味わってもらいたい。そしてファンの皆様、日本の皆様に感動を味わってもらいたいと思っています」

 ジャージーは脱いでも、少年時代から抱き続ける勝つことと、勝利がもたらす感動や喜びを仲間、ファンと分かち合いたいという飽くなき欲求は変わらない。

■田中史朗(たなか・ふみあき)1985年1月3日生まれ。39歳。京都・洛南中―伏見工高―京都産業大学から2007年に三洋電機(現埼玉パナソニックワイルドナイツ)入り。19年からキヤノンイーグルス、22年にNECグリーンロケッツ東葛移籍。08年に日本代表入りして通算75キャップ。13年から16年シーズンまでハイランダーズでプレー。W杯は11年、15年、19年大会に出場。

(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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