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箱根駅伝に中止危機、他県コース変更案 警察庁の要請も…守られた“形を変えない箱根”の奇跡

1月2日と3日、今年で100回目となる箱根駅伝が行われる。全国のテレビの前で、家族そろって母校や地元出身選手を応援するのは、日本の正月の風物詩となった。大会の発展の側面にはメディアの力も大きい。ラジオ、テレビと箱根駅伝。その歴史を振り返る。全3回の第3回。(取材・文=荻島 弘一)

今年で100回目となる箱根駅伝とメディアの歴史を振り返る【写真:アフロ】
今年で100回目となる箱根駅伝とメディアの歴史を振り返る【写真:アフロ】

日本の正月の風物詩・箱根駅伝とメディアの歴史を振り返る「第3回」

 1月2日と3日、今年で100回目となる箱根駅伝が行われる。全国のテレビの前で、家族そろって母校や地元出身選手を応援するのは、日本の正月の風物詩となった。大会の発展の側面にはメディアの力も大きい。ラジオ、テレビと箱根駅伝。その歴史を振り返る。全3回の第3回。(取材・文=荻島 弘一)

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 1987年(昭和62年)に日本テレビの中継が始まったころ、箱根駅伝100回の歴史の中でも最も危機に直面していた時期だった。大会は年々人気を高め、沿道は飽和状態。選手が走る国道1号線は大動脈で、人気観光地や初詣の寺社も多い。交通状況や警備の問題もあって、警察庁からコース変更か中止かを迫られていた。

 中継が決まった後、日本テレビの坂田信久氏は関東学連の釜本文男会長から言われたことが忘れられないという。「実は来年なくなるか、どこか違うところに移るか。それでも大丈夫かな?」。警察庁に決断を待ってもらっていた状況で、実際に他の県にコースを変更する案も出ていた。突然の意外な告白に言葉を失い、会社に報告することもできなかったという。

 しかし、日本テレビの中継によって状況は一変する。往路の中継で視聴率18%を超えると、復路の後半では21.2%まで伸ばした。もともとコアなファンは多かった箱根駅伝だが、全国中継の高視聴率で認知度はアップ。警察庁も強硬に排除できなくなり、コース変更の話も立ち消えになった。

 坂田氏が後輩たちに残した言葉に「テレビ中継が箱根駅伝を変えてはいけない」があるが、この時はテレビが箱根駅伝を形を変えずに守ったといえる。坂田氏は「放送をして一番良かったのは、形を変えない箱根駅伝が続いていること。ひそかにそう思っているんですよ」。1920年、わずか4校で争われた第1回大会は、東京・有楽町と箱根関所跡の往復。細かい修正はあったが、ほとんど変わらず今も同じコースが使われているのは奇跡的でもある。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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