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箱根駅伝に中止危機、他県コース変更案 警察庁の要請も…守られた“形を変えない箱根”の奇跡

日本テレビの箱根駅伝完全中継を実現させた坂田信久氏【写真:荻島弘一】
日本テレビの箱根駅伝完全中継を実現させた坂田信久氏【写真:荻島弘一】

箱根駅伝の完全テレビ中継は長い苦難を経てお正月の風物詩に

 技術的な問題とともに課題だったのが「全国性」。坂田氏は86年に企画書を提出する時、この年の出場選手の出身地の資料を付け加えた。「選手を出していない県は2つだけ。全国から選手が集まっていることを強調し、番組でも出身校や出身地を紹介していくという話をして理解してもらった」と説明する。現在も受け継がれている出身校や出身地を大切にする放送が、箱根駅伝ファンを全国に広げていった。

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 100回目を迎える箱根駅伝。日本テレビの放送も、38回目を迎える。20%前後で始まった視聴率は伸び続け、90年代は20%半ばから後半。2003年の復路で31.5%を記録すると、新型コロナ禍で在宅率が高かった影響もあってか21年の復路では歴代最高の33.7%を記録している。視聴率が伸び悩む最近では驚異的な数字だ。

 82歳になった坂田氏は今回もスタートは生で見るという。新型コロナで観戦自粛があったために、3年ぶりの現地観戦。スタート後は都内の自宅で87年の最初の放送時から毎年制作されているマニュアル本「箱根駅伝放送手形」とともにテレビ観戦する。「私は何かをいう立場でもないけれど、今は放送技術も進歩して、いい番組が作られていると思う。ゆっくり、テレビで楽しみますよ」

 半世紀以上前、坂田氏が夢見た箱根駅伝の完全テレビ中継は、長い苦難を経て日本のお正月の「風物詩」になった。

(終わり)

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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