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閉幕したアジア大会が迎えた転換期 メダル数争いに違和感、次回名古屋大会に必要な「友好第一」

次回は名古屋大会、スローガン「ここで、ひとつに。」が持つ意味

 一方で、スポーツの素晴らしさを感じるシーンもあった。競泳では女子50メートルバタフライ銅メダルの池江璃花子と金の張雨霏(中国)との抱擁。卓球女子シングルスでは優勝した孫穎莎(中国)が日本勢として29年ぶりに決勝に進出した早田ひなに「高め合える選手」と最大級の賛辞を送った。

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 池江や早田は競技や選手の注目度が高くて目立ったが、アジアの「友情物語」は多くの競技であったはずだ。同じようにリスペクトし合える選手同士の関係が、アジア内の政治的な緊張を少しでも和らげるはずだ。

 アジア大会は第二次世界大戦後、1951年に始まった。五輪中間年の大会は「次の五輪への中間発表」的な意味合いを持ち、五輪に次ぐ重要な目標とする競技団体も多かった。しかし、多くの競技で毎年世界選手権が行われるようになり、トップ選手のスケジュールは過密になる一方。アジア大会の位置づけも変わってきている。

 競技による差こそあれ、今のアジア大会は「五輪に次ぐ目標」ではない。それよりも、大会の理念でもある「アジアの平和」につなげることが重要だ。アジアのアスリートたちが集まり、互いに高め合って友情を確認するための大会であってほしい。

 次の大会は3年後、名古屋で行われる。スローガンは「ここで、ひとつに。」。スポーツの持つ力をいかし、国境を越えてアジアが1つになることを願ったものだ。アジアに分断の危機が迫る今だからこそ「ひとつに」が必要だ。

 競技によって大会への温度差があることは名古屋でも変わらないだろうが、総合大会の核として「ひとつに」を忘れてはならない。メダル争いよりも大切なことがある。選手にも、観客にも「リスペクト」の気持ちをもって大会を迎えてほしい。

 メダル数争いは、もういらない。アジア大会は転換期を迎えている。26年名古屋大会が、アジアの相互理解と平和につながるように。かつて中国が文化革命からスポーツの国際舞台に復帰する時に掲げた「友好第一」。今こそ、アジア大会に必要だ。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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