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「選手が車の中で着替えていた」 衝撃の光景から24年、J2水戸が追求する市民クラブの理想像

2000年にJリーグ入会を果たして以来、ずっとJ2で活動を続けてきた水戸。果たして「茨城ダービー」は実現するか【写真:宇都宮徹壱】
2000年にJリーグ入会を果たして以来、ずっとJ2で活動を続けてきた水戸。果たして「茨城ダービー」は実現するか【写真:宇都宮徹壱】

「いつの日かJ1で茨城ダービーを」

 増資が成功したのは、もちろん小島をはじめとするフロントスタッフの努力の賜物であるが、クラブが地域にとってかけがえのない存在となっていた証左とも言える。その礎を築いたのは、間違いなく前社長の沼田の功績であった。

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 2008年に「誰もなり手がいないから」「とりあえず1年」と社長を引き受けてから12年。その間、こじれていた水戸市との関係性を修復したり、ベトナム代表グエン・コンフォンを期限付きで獲得してインバウンド観戦ツアーを企画したり、さらには城里町の廃校を再利用したトレーニング施設兼クラブハウス「アツマーレ」も完成させた。社長を退任するまでの間に、予算規模は3億円から7億5000万円、平均入場者数も3044人から6087人と倍増している。

「僕が社長として新しいチャレンジができるのも、水戸ホーリーホックというクラブが真面目に地域と向き合っているという基盤を、沼田が作ってくれたからなんです」

 そう力説する小島。そして売上増の向こう側に見据えるのが、働く環境の改善である。

「Jリーグ30年の歴史の中で、少しおざなりになっていたのが、フロントスタッフの評価だと思っています。社員が幸せに生活することを追求してきたクラブって、そんなに多くはないと思うんです。いわゆる『やりがい搾取』から脱却して、働き方の改革を進めながら社員がよりチャレンジできる組織を目指していきたいですね」

 競技面でも、目指していることがある。それは、かつて自分が応援していた鹿島アントラーズに勝利することだ。開幕前に行われる、いばらきサッカーフェスティバルでは、2年連続で勝利しているものの、それはあくまでプレシーズンマッチの話。天皇杯では3回対戦し、2015年大会の3回戦ではPK戦の末に勝利している。しかしJリーグでは、鹿島はずっとJ1で水戸はJ2。茨城ダービーは、30年の歴史の中では一度も実現していない。

「僕にとっての鹿島は、常に『追いつきたい存在』であり『ずっと強くあってほしい存在』なんです。今季は苦しい試合が続いていますけど、間違ってもJ2で茨城ダービーをやりたくない。僕らが昇格して、J1でダービーをやりたいんですよ。それまでは、憎らしいくらい強くあってほしいし、この地域で輝ける存在であってほしいです」

 取材当時、鹿島は勝てない試合が続き、一時は15位にまで順位を下げていた。水戸にとって「追いつきたい存在」であり「ずっと強くあってほしい存在」である常勝軍団の社長に、次回はフォーカスすることにしたい。(文中敬称略)

(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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