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大会3か月前、初めて使ったピル あの五輪銀メダルの裏で26歳の三宅宏実が試みた月経対策

三宅さんは、東京五輪後に現役引退を表明した時の心境を語った【写真:松橋晶子】
三宅さんは、東京五輪後に現役引退を表明した時の心境を語った【写真:松橋晶子】

東京五輪後に決断した現役引退「心も体もキャパを全部使い切っていた」

 その後、三宅さんは16年リオデジャネイロ五輪に出場し、銅メダルを獲得。自国開催をモチベーションに東京五輪を目指した。しかし、取れない疲労やケガ・痛みと向き合うなか、ピークを維持し続ける厳しさを感じない日はなかった。

「競技を始めてからの記録の推移を折れ線グラフでみると、2012年をピークにゆるやかな曲線で下降し、最後(東京五輪)はゼロに戻っていきました。本当に、富士山のようにキレイな曲線を描いていましたね。

 筋肉は覚えているはず、全盛期の記録に戻したい! と信じて続けていたし、もっと行けるかな? とも思っていたけれど、こんなにも落ちちゃうんだという虚しさ、そして、パワー競技で、年齢を重ねても強くいられる難しさを痛感しました」

 21年7月の東京五輪、三宅さんはスナッチ種目では74キロを挙げたものの、クリーン&ジャークは残念ながら3回の試技を失敗。記録なしで大会を終え、4か月後の11月、現役引退を表明した。

「五輪後、私はとっくに心の容量も、体のキャパも、全部使い切っていたんだなぁ、限界をとっくに超えていたんだなぁって感じました。

 五輪で痛感したのは、4歳年をとることの大きさ、そしてピークを維持することの難しさです。メダルを獲り続けることはとてつもなく、難しい。何年にもわたり、ずーっと金メダルを獲り続ける選手って、神様みたいな領域だろうな、と思います。

 かつては五輪でカッコいい記録を出していた自分もいた。でも東京の私しか知らない人もいる。最後、後輩たちに何も残せず、ただ散ってしまったけれど、辛かった思い出も楽しかった思い出も、いっぱいあります。21年間、大好きな競技を続けられて、幸せでした」

(後編へ続く)

■三宅 宏実 / Hiromi Miyake

 1985年11月18日生まれ、埼玉県出身。中学3年時に重量挙げを始める。元重量挙げ選手の父・義行氏の指導の下、すぐに頭角を現し、高校1年で全国高校女子選手権53キロ級を大会記録で優勝。日本代表として04年アテネから21年東京まで、夏季五輪で日本女子最多に並ぶ5大会連続出場。12年ロンドン大会で銀メダル、16年リオデジャネイロ大会で銅メダルを獲得した(ともに女子48キロ級)。東京五輪終了後、現役引退。現在、コーチ業を務める。男子重量挙げ1960年ローマ大会で銀、64年東京、68年メキシコシティ大会で金メダルを獲得した三宅義信は伯父。

(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。

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