[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「PKは運じゃないけん、実力のあれよ」 久保竜彦は言う、敗れた日本に足りなかったこと

久保竜彦【写真:荒川祐史】
久保竜彦【写真:荒川祐史】

日本に足りなかった「主導権を握ってる時のもう一個の武器。三笘みたいな」

 試合は最初、十何分か持たれたけど、そこから盛り返して。遠藤が効いてたと思うし、そこからもう一人誰かいればってのはあったけど。

【特集】初代金メダリストが次世代に繋ぐサポートの輪「夢を持ってくれたら」 / スケートボード・堀米雄斗選手インタビュー(GROWINGへ)

 右サイドは雰囲気あったし。精度も高かったし。これはセンタリングから入るわと、(前半)20分くらいには思った。右、左どっちからでも合ってた、(相手守備の)ひと山越えて。絶対、来ると思ってたよ。

 クロアチアは、最初は日本も押し込まれてたけど。同じ中3日なんか? なんか、しんどそうというか。でも、キックの精度は怖かったと思うし、DFからすると。どっちに転んでもおかしくない試合だったとは思うよね。

 選手も、見てる方も互角っぽかったけど。流れが良い時のあとひと押しが足らんかったんかな。主導権を握ってる時のもう一個の武器(が必要)。三笘みたいな。

 伊東のサイドは良かったけど、左行ったり右行ったりしてた。あっこ(右)のサイドで勝負させたら、違ったんかなって思うし。試合のことは分からんけど、俺は見てそう思った。でも、あのリーグ(E組)であんな試合見れると思わんかったし。

 今日で前田のファンになったよね。子供の頃にゴール決めた時のあれを思い出したから。

(後編「『前田を見て、子供の頃を思い出したんよ』 激闘の120分に郷愁を感じた久保竜彦の贈る言葉」に続く)

■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo

 1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、コーヒー焙煎や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)


jleague

1 2
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA Jleague
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集