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栗原恵がコートで笑顔を忘れた日 「隣のローソン」に憧れた“部活と3年間”の告白

全国高校総体(インターハイ)の女子バレーボールが2日から三重県を舞台に幕を開け、熱戦が繰り広げられている。真夏の「高校日本一決戦」に忘れられない記憶を持っている元日本代表アタッカーがいる。栗原恵(JTマーヴェラス)。山口の三田尻女子(現・誠英)時代に3年連続出場し、1年生から2連覇を達成。日本バレー界を代表するヒロインへの階段を一気に駆け上がった。輝かしい高校3年間の裏では、どんな日々を過ごしていたのか。バレーで笑顔を失った過去を明かし、乗り越えるために苦労を重ね、才能を開花させたという。「THE ANSWER」のインタビューに応じ、前編では「栗原恵と高校3年間」について思い出を明かした。

高校時代から日本バレー界を代表するヒロインへの階段を一気に駆け上がった栗原恵【写真:赤木真二】
高校時代から日本バレー界を代表するヒロインへの階段を一気に駆け上がった栗原恵【写真:赤木真二】

「笑う練習」に泣いた1年生が「プリンセス・メグ」へ…三田尻女子で過ごした“あの時”

 全国高校総体(インターハイ)の女子バレーボールが2日から三重県を舞台に幕を開け、熱戦が繰り広げられている。真夏の「高校日本一決戦」に忘れられない記憶を持っている元日本代表アタッカーがいる。栗原恵(JTマーヴェラス)。山口の三田尻女子(現・誠英)時代に3年連続出場し、1年生から2連覇を達成。日本バレー界を代表するヒロインへの階段を一気に駆け上がった。

 今なお、現役を貫く34歳は高3で全日本デビュー。「プリンセス・メグ」と呼ばれ、人気を博した。輝かしい高校3年間の裏では、どんな日々を過ごしていたのか。バレーで笑顔を失った過去を明かし、乗り越えるために苦労を重ね、才能を開花させたという。「THE ANSWER」のインタビューに応じ、前編では「栗原恵と高校3年間」について思い出を明かした。

 ◇ ◇ ◇

 あの3年間がなければ、今の私はいない。34歳。栗原の長いキャリアでも、三田尻女子で過ごした高校生活は、特別な時間として刻まれている。「バレー人生で一番、濃い時間でした。厳しい学校でしたし、寮生活、練習はもちろん、先輩との関係もすべてが初めての経験。凄く厳しい3年間でした」。そう言って、15年前の若き日の姿を思い返した。

 中学時代に広島の親元を離れ、単身でバレー転校した兵庫から、今度は寮生活。ただバレーがうまくなりたい一心で飛び込んだ15歳は、卒業する頃には「プリンセス・メグ」の愛称がつき、国民的なヒロインに成長。バレーファンに知らぬ者はいない存在となっていた。その分、一日一日の密度は濃かった。

「今、高校生に戻れるかというと……正直、一番戻りたくない時代だなというくらい強烈でした」と笑って振り返る。「ただ、その時があるからこそ、今があるかな」とも言える。一番戻りたくない瞬間は――。そう問うと、苦笑いで記憶を辿り、当時の思い出を明かしてくれた。

「例えば、クリアしないと終わらない練習。主将をやっていたので、連帯責任として後輩ができなかったら『代わりにやれ』という感じ。誰かが倒れても終わらないくらい練習をひたすらやっていた時期もあったし、全国制覇をしても次の日には普通に練習しているというチームだったので、本当にバレーボール一色の3年間でした」

 強豪校ならではの厳しい掟も多くあった。

 出されたごはんはすべて食べないといけない。ただ、その量が普通ではない。おひつで出され、丼3杯分。多い時は4、5杯。それも朝、昼、晩だ。「ごはんが一番苦手でした」と苦い思い出になっている。体育館の隣にある寮で生活。寮と体育館だけを往復するだけで日々完結する。コンビニすら行けず、学校の隣にあるローソンの青い屋根を見ては憧れる毎日を過ごしたという。

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