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元FC東京・馬場憂太氏 “突き抜ける個”が育つサッカースクールで挑む「世界」

かつて「長谷部誠を凌ぐ天才」と謳われた逸材が今、福岡を拠点にして第二の人生を送っている。「遠いところまで来てもらって、すみません」。会うなり、現役当時と変わらない端正な顔に笑みを浮かべて頭を下げたのは、馬場憂太さん。抜群のテクニックと高い得点能力を武器にしてFC東京などで活躍し、世代別の日本代表にも名を連ねた攻撃的MFだ。

ジュニア向けスクールを立ち上げ、指導を展開している馬場憂太さん【写真:荒川祐史】
ジュニア向けスクールを立ち上げ、指導を展開している馬場憂太さん【写真:荒川祐史】

元FC東京・馬場憂太さん、34歳の知られざる第二の人生の挑戦物語

 かつて「長谷部誠を凌ぐ天才」と謳われた逸材が今、福岡を拠点にして第二の人生を送っている。「遠いところまで来てもらって、すみません」。会うなり、現役当時と変わらない端正な顔に笑みを浮かべて頭を下げたのは、馬場憂太さん。抜群のテクニックと高い得点能力を武器にしてFC東京などで活躍し、世代別の日本代表にも名を連ねた攻撃的MFだ。

 そんな34歳は「LUPINUS(ルピナス)サッカースクール」というジュニア向けスクールを立ち上げ、指導を展開している。しかし、引退後のキャリアをトップ層の指導ではなく、ジュニア世代の才能発掘に捧げるのはなぜなのか。拠点とする天神の商業ビルの屋上にあるフットサルコートに足を運ぶと「天才」と呼ばれた男の知られざる挑戦物語が語られた。

「最初から子供たちに教えることに興味があったわけではなかったんです。ただ、引退後にFC東京の初蹴りに行ったら『クラブのユース出身プロ第1号なんだし、今まで憂太みたいな選手は今の今も育って出てこない。上手い選手が育つようにFC東京(の普及部)でコーチとして手伝ってもらえないか』と熱い言葉で誘いを受けたことがきっかけで始めることになった。子供は大好きだったし、普及年代に何をするかで将来的な技術も変わって来てしまう。中高生になって、あれこれ教えても技術的な所を身につけるのは遅い。だからこそ、自分が培ってきた技量、真似できないアイデアを伝えてあげられたらなと」

 FC東京ユース時代にクラブユース選手権で得点王&MVPを獲得し、日本一になるなど非凡な才能を発揮した馬場さん。クラブ初のトップ昇格を果たし、U-19からU-20にかけて世代別代表を経験。同い年の長谷部より注目を浴び、将来は日本を背負う存在になると期待を受けた。しかし、フル代表には届かず、その後は千葉、山形、東京V、韓国・大田を経て、13年に29歳の若さで引退した。

 一方、かつて一緒に戦った長谷部は浦和で主力に成長し、ドイツに移籍。日本代表でも不動の存在となり、W杯に3大会連続出場し、押しも押されもしない日本代表の中心選手となっていた。第二の人生を考える際、実は転機になったのが引退翌年、その長谷部に言われたひと言だった。14年ブラジルW杯直前、練習パートナーとして本人にトレーニングに誘われ、ともに汗を流していた。

「その時に言われたんです。『憂太、スクール立ち上げれば?』って。引退後はヨーロッパを巡っていろんなことを考えながら時間を過ごし、焼き肉屋をやろうかなと思ったり、弟(徹)が俳優だから自分も行こうか考えたり(笑)。ちょうど悩んでいた頃に『憂太がやるスクールがいいんじゃない?』って。それが大きなきっかけになりました」

 持ち前の明るさで、面倒見もいい。何より、選手として持っている才能はピカイチだった。そんな素養を長谷部は見抜いていたのかもしれない。ひょんなひと言から、漠然とした未来に一本の道がくっきりと浮かび上がった。準備期間を経て、川崎にスクールを立ち上げたのは17年。そして、昨年4月からは福岡校を開校した。

「まずは楽しくボールと遊ぶこと、グラウンドを駆け回ること」と馬場憂太さんは持論を語る【写真:荒川祐史】
「まずは楽しくボールと遊ぶこと、グラウンドを駆け回ること」と馬場憂太さんは持論を語る【写真:荒川祐史】

長谷部に言われ、ずっと考えた「長谷部にあって、自分になかったもの」

 幼稚園児から小学6年生までを対象にしたレッスンの一番の売りは「サッカーを純粋に楽しませること」だ。“笑顔が咲くサッカースクール”を標榜。とにかく空気が明るい。その背景には、現在のジュニア年代の指導現場に感じる問題点が関係している。自身が育った名門・三菱養和SSを引き合いに出しながら、持論を語る。

「この年代も強いチームは指導が厳しい。監督も勝たせたいから細かく要求するし、怒鳴ることもある。でも、あまりに厳しいと結果は出ても、子供の脳が固まって『これをやらなきゃ』と受け身になり、アイデアが生まれなくなる。引いてはサッカーが嫌になって辞めてしまう子も実際に見てきていた。だから、まずは年中、年長のキッズクラスはコートで、一緒に馬鹿して遊ぶだけでもいい。楽しくボールと遊ぶこと、グラウンドを駆け回ること、あとはとにかく笑ってほしい! 純粋にボールと触れ合って楽しむことで、サッカー自体が楽しくなり、自分から取り組むようになることで、どんどん成長し上手くなっていくんですよ。

 僕は三菱養和が日本一のサッカースクールだと思っています。小学生年代には“何も教えない”。遊んでいる子もいれば、黙々と練習している子もいる。でも、それでOK。監督もコーチも怒らない。それぞれが自分の思った方向に突き進んでいく。僕はビデオで上手い選手を研究して、グラウンドで発揮する。だから、どんどん上手くなれた。当時のコーチがいまだに現場で指導をしていて、『28年間、今も変わらず教えてるぞ』と言うんです。それでJリーグに多くの選手を輩出してますから。自分も吸収するために勉強がてら三菱養和に足を運んでいます。それに加えて、自分の色、多くの経験を直接伝えたいと思っています」

「楽しむ」が前提にあり、伸ばすのは「個」だ。練習前の挨拶、試合後の握手など、一人の選手として守るべきことは厳しく徹底するが、あとは自由な個性と発想を求める。「Jリーグだけじゃなく、世界に通用するような選手を出したい。『個』が突き抜け、人としても周りの意見に左右されない。自分で抜け出ていけるサッカースクールを目指している」と言う。そのヒントを与えられることが「馬場憂太だからできること」だ。

 互いに大人になった時、長谷部に「憂太には運がなかった」と言われたことがある。以来、ずっと考えていた。「長谷部にあって、自分になかったものは何だろう」と――。

「18歳から知っている長谷部がW杯でキャプテンマークを着けるなんて想像もつかなかった。彼との差は何だったのか。僕は世界を見ていなかった。Jリーグで活躍して、周りからチヤホヤされて……。彼は『俺は浦和でレギュラーを獲ってフル代表になる』と明確な目標があり、『早く海外に出たい』と話もしていた。先を見て、逆算して、日々の生活を送っていたんだと思う。僕はそこまで見えてなかったし、日本が大好きだったから」

 長谷部を上回るほどの才能がありながら、FC東京関係者には「生まれ持った天才なのに残念だ」と愛のムチを打たれた。しかし、当事者として経験した者にしかわからないことが“天才が育たない日本”で強みになる。

「他の人にはない何かを身につけ、平均値じゃない、突き抜ける人間を目指してほしい」と馬場憂太さん【写真:荒川祐史】
「他の人にはない何かを身につけ、平均値じゃない、突き抜ける人間を目指してほしい」と馬場憂太さん【写真:荒川祐史】

早くも芽吹き始めた成果「平均値じゃない、突き抜ける人間を目指して」

「日本はいい選手は生まれても、メンタルの問題にぶつかる。世界の選手はそのまま成長して活躍するけど、日本はどこかで抑え込まれてしまう。僕自身もそうだった。そのメンタルを教えられる指導者が少ない。尊敬できる人にアドバイスを受ければ、選手も反発しない。海外はジダンが指導者にいて、彼が子供に言えば反抗する選手はいない。でも、日本は『何だよ』と思ってしまうフシがある。生意気でもいいから、そういう才能の持ち主をまっすぐ上に導いていける指導をしたいと自分は強く思っています」

 馬場さん自身、足りなかったことの一つが「聞く耳がなかったこと」という。幼い頃は才能があるあまり、自信が過信につながり、指導者を信頼する目がなかったとコーチに言われた。ただ、それは図抜けた才能を育てる上で避けて通れない課題だ。

「自分の芯と聞く耳を持ってもらうこと。そのためにまずは尊敬される指導者になる。そうなれば、子供たちもしっかりと僕の言葉を聞いてくれる。34歳でまだ動けるから、一つ一つのボールキック、タッチを目の前でしっかり見てもらう。ただボールを蹴るんじゃなく、その前にどこを見て、グラウンド状況はどう……と他の指導者に教えられない感覚がトップ選手上がりには絶対ある。だから、体が持つ限り現場に出てしっかりやりたいと思っています」

 選手の名前を看板に謳っているスクールはあれど、実際に直接指導するものは少ない。だからこそ、現在は月火は福岡、木金は東京と毎週往復し、グラウンドに立つ。体型は現役時代と変わらない。持ち前の明るさで子供のやる気をくすぐり、一つ一つのプレーをお手本として実践。すると、子供の目の色は変わる。“尊敬される指導者”を貫いている。

 自身をステップアップさせることにも余念がない。JFAのA級ライセンスを受験し、38歳までにS級ライセンス取得を目指している。それが史上最年少のS級取得になると聞いたからだ。スクールでは海外に興味があれば、現役時代に培った豊富な人脈を駆使し、実際に研修の受け入れ先の斡旋。スクールの評判と噂を聞きつけ、他の名門スクールから“移籍”する子供が出始めた。

 熱い情熱を込めた指導の成果は早くも芽吹き始めている。

「僕のスクールに入って、必ずしもサッカー選手になれとは言わない。でも、やるのであれば、他の人にはない何かを身につけ、平均値じゃない、突き抜ける人間を目指してほしい。周りの意見に左右されず、芯の通った人間に。自分は性格的にやんちゃだったけど、やんちゃで良かったと思う。そんな自分をサポートしてくれていた両親には感謝しかないです。親のサポートがあったからこそ、サッカーを真剣に取り組むことができていたので。だから、今、僕は福岡から世界に羽ばたいて、日の丸を背負うような子供が出てくるようなスクールにしたいです」

 かつて失敗を経験し、自分の弱さを知るからこそ、花開かせられる才能がある。華麗なプレーでピッチを沸かせた男は“馬場憂太にしかできないサッカースクール”で、福岡から世界に挑もうとしている。

(THE ANSWER編集部)

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