巨人ドラ2→建設業で社長に 経営23年、元プロの肩書出さず…「自分が自分でないよう」それでも感じる喜び――スチールエンジ・松谷竜二郎
元プロ野球選手としてのロールモデルになりたい
最初に入社した会社が業績不振となり他社に入社。その後、床版の専門工事部門(後のスチールエンジ)を立ち上げ、3年間営業担当を務めた。
「仕事を覚えて、営業成績が伸びてくると、目標を達成する面白さを感じるようになりました。お客さまに提案してそれを受け入れてもらえる喜びもありました。成績が上がってくると、お給料も良くなります。『これだけ稼いでいるんだから』とアピールできますから。成績がいい時は、勝ち続けるピッチャーみたいなもので、毎日が楽しかったですね」
2003年には代表取締役に就任している。39歳の若い社長だった。
「私は経営者になりたいと思っていたわけではありません。会社の人や取引先から『松谷さんがやらんと』と推される形で、引き受けることになりました。その時点で、現場で勝ち続けた時の楽しさはなくなりましたね」
だが、社長を任された時がターニングポイントだったと松谷は振り返る。
「それまでスポーツ新聞しか読んでなかったのに、日経新聞や経営者の本を読むようになりました。やっぱり、経営者として勉強しないとダメですよね。上場企業の社長の話を聞く機会を増やしていきました。そういう席でも自分から野球の話を持ち出すことはありません」
プロ野球を引退してから29年、社長になって23年が経つ。
「社長になれば、全体の数字を見て、言いたくないことも言わないとダメなんですよ。ポジションが変わったことで、自分が自分でなくなったように感じました。プロ野球時代の仲間には『おまえの性格でよく社長をやってるな』と言われますよ(笑)。
社長になってから、自分が営業して売上を伸ばしていた時のようなエキサイティングさは味わえません。でも、社員が頑張ってくれた時には別の喜びを感じています。悲しくなることもあるけど、うれしいこともたくさんありますよ(笑)」
9年間戦ったプロ野球時代の経験がどのように生きているのか。
「私が入団した頃の巨人は、とにかく細かくて、すべてにおいてきっちりしていたんです。投手も入った全体守備練習の時にはもうピリピリしていて……。1000回に1回、いや1万回に1回起こるどうかのミスに備えてみんなが練習していました。基本を大事にすること、しっかりと準備をすることが本当に大事だと巨人で教えてもらいました。
どんな仕事でも、まず基本があって、そのうえにテクニックがある、ミスをした場合に備えて準備をする。失敗があった時の対応はひとつのサービスみたいなもの。そこで他社と差がつくのかもしれません」
世の中の変化は目まぐるしく、「これまでと同じ」が通用しなくなっている。建設業界も例外ではない。
「私がこの業界に入った時には携帯電話が普及していなくて、まだポケットベルの時代でした。パソコンが出てきて、スマホを持つのが当たり前になって、コミュニケーションも交渉のスタイルもどんどん変わっていきました。
世の中のスピードに合わせて自分たちも変わらないといけない。事業もそのやり方も。今の形がずっと続くことはあり得ないですからね。私たちがいる建設業界も変わっていっています。事業を切ったり離したりしながら、いろいろなことに取り組んでいます」
還暦を過ぎた今、考えることがある。
「僕はプロ野球の世界ではたいした成績を残せなかった。プロと言えるほどの活躍はできませんでしたけど、この世界で『あいつ、やるやないか』というものを残したいですね。元プロ野球選手としてのロールモデルになりたいという気持ちがあります。そのための努力をしているところです」(文中敬称略)
(元永 知宏 / Tomohiro Motonaga)
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